情報源は岩手県立総合教育センター科学産業教育室(地学研究室)のHP。中高地学研修講座HPなのだが最近は削除されたのか?外部から見る事が出来なくなったのか?見付からない。
「第2日野外巡検:江刺市田原・川内 9:50(江刺から大東町猿沢に行く国道456号線から東に200m入る)母体変成岩類の枕状溶岩 10:05」と書かれている。場所的には此処で良いのだと思うが如何だろうか?http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?b=390759&l=1411510
原則更新を停止します。 このブログは地質の素人の現70歳の素浪人が、地質図・論文・websiteを閲覧して露頭情報を収集し、その情報と主に足で稼いだ露頭画像を御紹介してきたブログです。素人故の恐れ知らずで取り組んでしまいましたが、残る人生の短さと現在の体力を歩き残した露頭の余りの多さとを天秤に掛けるとそろそろ「撤収」を考える時期だと思い至りました。 火山カメラの映像をUPしてまでこのブログを維持するのも如何かと思い至りましたので、このブログの更新を停止する事と致しました。 枕状溶岩関連記事についてはそのまま残そうと考えています。2年程度の心算で、2009年9月8日に始めたこのブログがここまで続けられるとは思って居ませんでした。 長い間お付き合い頂き有難う御座いました!
2011年8月29日月曜日
2011年8月17日水曜日
露頭情報:No_149;久慈市茅森国道281号久慈渓流付近
この露頭の位置と、露頭情報:No_007;深田沢(位置情報がハッキリしないので省略した)の関係がイマイチ判らない。参考にした資料は1/5万「陸中大野地域の地質」と、岩手県立博物館HPの「これなあに?」のなかの「枕状溶岩」の記載。 前者は、第11図に道路工事で削られた雰囲気の「沢山川層中の玄武岩枕状溶岩 久慈市茅森附近の国道281号線道路傍」画像がある。 後者は、本来は岩手県立博物館のHPらしいが「これなあに?」からは入れないが、「これなあに?」に“Return”で戻れる「久慈 枕状溶岩」の検索でヒットする頁。此方は「久慈市山根町滝深田沢 沢山川層 三畳紀」としてある。此方も採石場か?道路脇の雰囲気である。
「陸中大野地域の地質図」には沢山川層に関して、「沢山川層は,本地域の南縁部をほぼ東西に流れる久慈川の支流,沢山川の流域に広く発達し,小貫(1969)はこの流域を模式地としていたが,杉本(1974)は他層との関係がより明らかな久慈市山根町滝―深田間の深田沢流域を模式地として改めた。本層は,玄武岩を主とする溶岩・凝灰岩を主体にした火山岩累層で,一部では枕状溶岩がよく発達し,火山円礫岩も挟まれる(第11図)。また,上部ではLぱしぱ粘板岩を挟むところがある。本地域南東部久慈川の久慈渓流沿いによく発達し,枕状溶岩による上下判定で,明らかな逆転構造を示す露頭がある。また,ここでは走向性断層や転倒摺曲構造によって安家層とともに繰り返L露出する。」と記載されている。
従って、前者の「滝-深田沢」の模式地は、例えば下記のポイントを含む深田沢沿いに露頭があると思われる。
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?b=400757&l=1414149
後者は、国道281号線の久慈渓流附近として下記附近と考えた。この道路1980年頃に!、陸中海岸を歩く為にバスで散々通過していた道路なのだが見ていなかった!残念
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?b=401040&l=1413839
この附近については、文献は多い。
「北上外縁帯の地質 白亜紀地殻変動の証を追って」:地質ニュース1979年
「北上外縁帯の緑色岩類 層序的位置と産状」地質学雑誌 第85巻 1979年
歴史的な観点からは「北上外縁帯,岩手県小本・田野畑地域の中生層」東北大学地質古生物研邦報等
「陸中大野地域の地質図」には沢山川層に関して、「沢山川層は,本地域の南縁部をほぼ東西に流れる久慈川の支流,沢山川の流域に広く発達し,小貫(1969)はこの流域を模式地としていたが,杉本(1974)は他層との関係がより明らかな久慈市山根町滝―深田間の深田沢流域を模式地として改めた。本層は,玄武岩を主とする溶岩・凝灰岩を主体にした火山岩累層で,一部では枕状溶岩がよく発達し,火山円礫岩も挟まれる(第11図)。また,上部ではLぱしぱ粘板岩を挟むところがある。本地域南東部久慈川の久慈渓流沿いによく発達し,枕状溶岩による上下判定で,明らかな逆転構造を示す露頭がある。また,ここでは走向性断層や転倒摺曲構造によって安家層とともに繰り返L露出する。」と記載されている。
従って、前者の「滝-深田沢」の模式地は、例えば下記のポイントを含む深田沢沿いに露頭があると思われる。
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?b=400757&l=1414149
後者は、国道281号線の久慈渓流附近として下記附近と考えた。この道路1980年頃に!、陸中海岸を歩く為にバスで散々通過していた道路なのだが見ていなかった!残念
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?b=401040&l=1413839
この附近については、文献は多い。
「北上外縁帯の地質 白亜紀地殻変動の証を追って」:地質ニュース1979年
「北上外縁帯の緑色岩類 層序的位置と産状」地質学雑誌 第85巻 1979年
歴史的な観点からは「北上外縁帯,岩手県小本・田野畑地域の中生層」東北大学地質古生物研邦報等
2011年7月28日木曜日
露頭情報:No_126;盛岡市
地質学雑誌 第108巻 第2号 114-122頁に「早池峰緑色岩類中の赤色チャートから得られた後期デボン紀コノドント年代」と言う論文が掲載されている。当然、ネットで閲覧出来る。
この論文の基となったチャートが採集されたのは下記の川目採石場なのだが、此処に枕状溶岩が在るとは書かれて居ない!のだが緑色岩が露出していると書かれている。
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?b=394037&l=1411703
118頁からの「緑色岩の化学組成」には「盛岡市東部~南東部の早池峰帯中の11地点から得られた層状含マンガン鉄鉱床の母岩を含む塊状~枕状の玄武岩溶岩16資料について、主成分元素および微量元素成分の分析を行った。」と記載されている。
16資料の内、アルカリ玄武岩は
“H”地点:盛岡市上米内畑井野沢(かみよない、はたうちさわ)この付近だろうか?
この論文の基となったチャートが採集されたのは下記の川目採石場なのだが、此処に枕状溶岩が在るとは書かれて居ない!のだが緑色岩が露出していると書かれている。
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?b=394037&l=1411703
118頁からの「緑色岩の化学組成」には「盛岡市東部~南東部の早池峰帯中の11地点から得られた層状含マンガン鉄鉱床の母岩を含む塊状~枕状の玄武岩溶岩16資料について、主成分元素および微量元素成分の分析を行った。」と記載されている。
16資料の内、アルカリ玄武岩は
“H”地点:盛岡市上米内畑井野沢(かみよない、はたうちさわ)この付近だろうか?
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?b=394430&l=1411246
“I”地点:綱取りダムは、対象が広過ぎるが、渓流沿いだろうか?
“I”地点:綱取りダムは、対象が広過ぎるが、渓流沿いだろうか?
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?meshcode=59414155
“J”地点:盛岡市下米内一本松(しょもやない、いっぽんまつ)は、綱取ダムの下流側のこの附近。
“J”地点:盛岡市下米内一本松(しょもやない、いっぽんまつ)は、綱取ダムの下流側のこの附近。
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?b=394301&l=1411124
“K”地点:盛岡市上米内松木平(かみよない、まつのきだいら)は、
“K”地点:盛岡市上米内松木平(かみよない、まつのきだいら)は、
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