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2012年8月22日水曜日

露頭情報:No.575;住用町城(ぐすく)東方

露頭情報:No.574と同一著者による別論文が出典。殆ど同じ地域の100m程度離れた現地性枕状溶岩露頭の論文。露頭位置図は全く同一だが、露頭位置が異なる。
出典名は「奄美大島名瀬層中の in-situ 緑色岩」。月刊地球 第16巻(1994年) 第8号。459頁 第一図:奄美大島の地質概略図,460頁 第2図:城(ぐすく)東方の海岸部のルートマップ;御崎西側のC点(図内に枕状溶岩の露頭状況説明図有),462頁 第4図: in-situ 緑色岩包含層の年代-距離は中央構造線に投影した相対的な位置を示す。(奄美大島-九州-四国-紀伊半島-赤石山地)。前記露頭情報同様に本論文は無償公開されていない
1/25000では表現出来ない微地形が便りなので、論文のルートマップを参照して下さい。取り敢えず座標は城(ぐすく)東方の小岬に置いた。
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?b=281748&l=1292746

2012年8月21日火曜日

露頭情報:No.574;奄美大島 住用町城(ぐすく)東方

論文に掲載の露頭位置図(1/2000) と 1/25000地形図の縮尺が余りにも異なるがので、描かれた微地形が合わないのだが、場所的には間違い無さそう。次項の露頭とは150m離れている。詳細を記載した論文が異なるので別項とした。参照する地形図は同一座標である
名瀬層 MORBだが砂岩や黒色泥(頁)岩などの陸源性砕屑岩の堆積場で噴出したとされている。
出典は「奄美大島の四万十帯名瀬層中の現地性玄武岩-玄武岩の産状と珪化頁岩の化学組成」。地質学論集,第52号139-150頁,1999年に掲載されている。140頁 第1図:奄美大島の地質概略図,141頁 第2図:城(ぐすく)東方の海岸部のルートマップ;地点1,第3図:枕状溶岩の露頭写真,142頁 第4図:地点1の詳細図,知念他によるAM-1に相当 本論分は無償公開されていないので、私も産総研で複写させて頂いた。
場所は恐らく此処だと思いますが、1/25000地形図と、141頁の“Fig2”とは、前記の通り少々符合しない。原論文を良く見て下さい。

2012年2月6日月曜日

露頭情報:No.455;南さつま市野間池附近


鹿児島大学理学部紀要(地学・生物学)に掲載された論文「鹿児島県久多島の地質,リン鉱床および構造的位置」(1985:鹿児島大学リポジトリにて公開有)の引用文献として50頁に「鹿島(1976)は野間池累層下部層中に枕状溶岩などの玄武岩類の存在を明らかにし・・・」の記載がある。
「鹿島(1976)」は鹿島愛彦氏による「琉球弧における佛像構造線について、琉球列島の地質学的研究」(地質学論集)については、“CiNii”が定額アクセスである為に未だ閲覧していない。産総研の図書室で閲覧したいと思ってはいるのだがつい忘れてしまっている。
野間池は野間半島の起点に在る断層線の走る小漁港(入江)。露頭位置の詳細は不明だが野間池の座標を示す。
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?b=312454&l=1300802

2011年12月3日土曜日

露頭情報:No.325;石垣市居原間トムル岬

出典は「石垣島東北部地域の地質」。この第三章八重山変成岩類 3.3. 伊原間ユニットには「5頁 第2.1図 石垣島東北部図幅地域の地質概略図、12頁 第3.9図 ピローブレッチャもしくはハイアロクラスタイトの原岩組織を残すトムル層塩基性片岩」等が記載されている。
地質ニュース第598号(2004)にこの地質図幅についての解説があるので参考になるかもしれない。場所はhttp://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?b=243154&l=1241831

露頭情報:No_324;瀬戸内町住用タカバチ山

出典は「湯湾地域の地質」。この「Ⅳ.3.3. 名瀬ユニット」の項目に、「36頁 第28図:名瀬ユニットの岩相を示すルートマップ(住用村タカバチ山周辺の林道の切り割り)、38頁 第31図:名瀬ユニットの玄武岩枕状溶岩(瀬戸内町嘉徳の東方約1kmの林道沿い)」等が記載されている。
場所は、第28図のルートマップに記載されているので下記で間違い無い様だ。
参考文献に1999年の地質学会講演論旨に「現地性緑色岩含有層に伴われる赤色頁岩の起源について:後期白亜紀牟岐累層を例として」がある。

2011年10月15日土曜日

露頭情報:No_277;屋久島大川の滝(転石)

転石なので露頭情報とは言えないが、地質調査報告に掲載されているので、付近に露頭が有るのは間違いないだろう。内陸側は花崗岩なのだから存在場所は限られている筈だ。
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?b=301759&l=1302450

露頭情報:No_276;屋久島熊毛郡屋久町船井行海岸

出典は鹿児島地学会の名著「地球からのメッセージ 鹿児島」(1997)。その第2章 新生代古第三紀の地層 第23図にカラー画像が掲載されている。「屋久島船行海岸の熊毛層群に見られる枕状溶岩でその時の噴火にともなって堆積した赤紫色の凝灰岩なども挟まれています。」と書かれている。
この書籍は私の大切な宝物。場所はこの付近らしい。
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?b=301958&l=1303949

尚、No_272-275は全て偽枕状溶岩の情報なので此処では取り上げない。

2011年9月18日日曜日

露頭情報:No_215;奄美大島瀬戸内町嘉徳東方

参照文献は5万分の1地質図「湯湾地域の地質」「Ⅳ.3.3. 名瀬ユニット 36頁 第28図:名瀬ユニットの岩相を示すルートマップ;住用村タカバチ山周辺の林道の切り割。 38頁 第31図:名瀬ユニットの枕状溶岩 瀬戸内町嘉徳の東方約1kmの林道沿い。」と記載されている。場所はこの付近か? 「嘉徳から1km」の起点が判らないが、林道沿いに露頭が在るのが判っているのだから気が楽に探せる。但し雑草の繁茂に注意が必要。
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?b=281135&l=1292451
但し、36頁に掲載された名瀬ユニットの岩相を示すルートマップのルート形状から行くと、1kmをだいぶ超えたこの付近かもしれない。
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?longitude=129.42275&latitude=28.194828
参考になりそうな文献としては1993年に日本地質学会での口頭発表の下記が在るのみ。
「現地性緑色岩含有層に伴われる赤色頁岩の起源について:後期白亜紀牟岐累層を例として」がネットで入手可能です。

2011年9月15日木曜日

枕状溶岩:No_206;指宿市竹山

この情報は、残念ながら「枕状溶岩」では無く「放射状節理」です。放射状節理を枕状溶岩の冷却節理と勘違いしてしまっているケースが多いので、これは念の為に収録した露頭。
枕状溶岩には放射状の冷却節理が在るケースが多いが、必ずしも内部までその放射状の節理が続いている訳ではないのです。花咲海岸の車石やフォッサマグナミュージアム等で枕状溶岩と騒ぐものだから、そう思い込んで居られる方が多いのです。
ここの露頭は5万分の一地質図「開聞岳地域の地質」の「5.6.4.竹山溶岩」に「放射状節理」として33頁に画像も掲載されている。この付近は高校時代に歩いたが興味深い地質構造が海岸線に沿って色々と見る事が出来ます。

2011年8月24日水曜日

露頭情報:No_169;沖永良部島和泊美瀬浜(国頭岬南)灯台付近

参考文献は「鹿児島県地学会誌No.87 露頭紹介: 沖永良部島美瀬浜のスランプ層と枕状溶岩」。30頁 第1図:沖永良部島の地質  32頁 第4図:枕状溶岩 見瀬浜の北端にある灯台附近には、塩基性火山岩類や珪質な黒色頁岩などが分布している。塩基性火山岩類の中には玄武岩質溶岩があり、見事な枕状構造を呈している。・・枕の長径は50~100cmと大きく隙間を埋めるハイアロクラスタイト基質は乏しく、発泡構造は余り見られない。」と書かれている
枕状溶岩は玄武岩質で露頭を含む地層は根折層。露頭位置は下記付近と思われます。
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?b=272601&l=1284241

2011年7月12日火曜日

露頭情報:No_105;徳之島伊仙町

徳之島伊仙町喜念上晴 以前は鹿児島大学のフィールドミュージアムへの取り組みの記事の中に喜念集落北部の枕状溶岩画像が有ったのだが見る事が出来なく成った。
しかし、最近検索を改めて行うと情報がこの様に整備されていた。
http://www.amami-jc.com/modules/xdbase/index.php?action=DataView&did=7
以前の情報で小生が想定してた場所とは異なっていたようだ。想定される露頭位置は
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?b=274126&l=1285951
前記の奄美の資料では、一本山側の道路の
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?b=274125&l=1285857
に相当するようだ。
鹿児島大学総合研究博物館の大木公彦館長は地質学がご専門なので、フィールドミュージアムとしてこれらの自然景観の保護にご尽力頂ける事を期待したい。鹿児島大学の運営するワークショップの「鹿児島フィールドミュージアム」にはこの地域の地質情報が在る。
http://www.museum.kagoshima-u.ac.jp/fieldmuseum/node/geo/area/t-tokunoshima.html

2011年6月28日火曜日

露頭情報:No_087;石垣島安良崎

基本文献は「石垣島東北部地域の地質」:第三章八重山変成岩類 3.2.平久保ユニット 5頁 第2.1図 石垣島東北部図幅地域の地質概略図 10頁 第3.5図 枕状溶岩の原岩組織を残すトムル層塩基性片岩 13頁 第3.10図 トムル層の地質構造図。安良岳東方安良(やっさ)村跡安良崎:あらざき。 枕状溶岩は形態が良く保存されピローローブの伸張方向に垂直な断面では50cm~1m程度の楕円形を示し,個々のピローローブを埋めるように重なり合っている  地層の逆転は認められない。 場所は大体下記附近か?
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?b=243338&l=1241923
地質ニュース第598号 68-71頁に掲載された「5万分の一地質図幅「石垣島東北部」の69-70頁に簡単に触れられていて画像も掲載されている。

2011年5月17日火曜日

露頭情報:No_047;種子島上立石

これも参考文献は、「鹿児島県地学のガイド 下」 10.2 種子島  82頁:図10-7;種子島の地質柱状図 93頁:図10-23;熊毛層群の枕状溶岩 大川の南500mの上立石の海岸では,熊毛層群の中に10数m四方の範囲に枕状溶岩。」とある。場所は下記付近か!立石神社の北150m附近。
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?b=302445&l=1305157
種子島町HPの文化財詳細情報の頁にこの様に書かれています。
http://www.town.minamitane.kagoshima.jp/bunkazai/bunkazai_details.html
「大川小学校から西之に行く途中、上立石海岸の波打ちぎわ約10m四方の狭い範囲に見られます。直径50~80㎝の楕円体に近い丸みを帯びた塊が集まってできた溶岩です。枕状溶岩(俵状溶岩ともいう)は熊毛層群(種子島の基盤岩層で約7000万年~2600万年前)の中に見られ、表面はパン皮状、暗紫色~黒色のち密な岩石で、縦横に石英脈が入っています。」

露頭情報:No_046;奄美大島神の子

資料は「地学のガイド 鹿児島県 下」11-1. 名瀬市~笠利町(奄美大島)107頁:図11-3;山羊島の枕状溶岩「名瀬湾東岸の山羊島トンネル附近の国道沿いに塊状の緑黒色をした玄武岩の溶岩。山羊島のホテルの西側裏の崖に枕状溶岩。」場所はこの附近
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?b=282359&l=1293023
下記、「枕状溶岩が見られる山羊島」には画像がある。何故?枕状溶岩と言うとこうも一律に「水深3000m位の海底でマグマが吹きだし急冷したもの」と書くのか?不思議でならないが、位置情報と画像に注目すれば良いのでご案内しておきましょう。
http://amami7.com/makurajyouyougan100723.html

2011年5月16日月曜日

露頭情報:No_044;徳之島亀津

亀津の町野の南にある徳之島病院下の海岸と、露頭情報:No_043;井之川の項と同じく、地学のガイド・鹿児島県(下)には書かれている。場所は同じ資料の131頁の図12-7「徳之島の全体図」に記された亀津港側の記号“B”の位置から下記と想定した。
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?b=274311&l=1290117
これ以外には余り詳しい資料に出会っていない。

露頭情報:No_045;奄美大島笠利用安

参考文献は、「地学のガイド 鹿児島県 下」 11-1. 名瀬市~笠利町(奄美大島) 109頁:図11-6;枕状溶岩と名瀬層の境界:神の子集落を300m過ぎた,左カーブの道路脇露頭では緑色をした枕状溶岩と名瀬層の接触面・・接触面附近は弱い熱変成作用を受け・・」とある。場所はどうやらこの附近らしい。現在は龍郷町に変わったらしい。現地には小さな名称看板が立っているようだ。
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?b=282411&l=1293834
この場所の露頭についての詳しい論文にはまだ出会っていない。余り新しいものでは無いが下記の1993年の日本地質学会学術大会講演要旨集に掲載されている。全くのこの露頭についての論文要旨ではない「現地性緑色岩含有層に伴われる赤色頁岩の起源について:後期白亜紀牟岐累層(四国)を例として」(Cinii,でオープンアクセス)

露頭情報:No_043;徳之島井ノ川

この露頭についての資料は、地学のガイド 鹿児島県 下 12-2. 徳之島の項で、129頁:図12-6;徳之島の地質図、132頁:図12-8;尾母層に挟まる枕状溶岩(露頭写真)がある。場所はこの附近らしい。
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?b=274649&l=1290056
地学のガイドの130-132頁にはこの様に書かれています。「港から県道に沿って北上し井之川地区へ向かう途中に,緑色をした岩石が露出しています。井之川の集落入口にある中学校横(A)には高さ10mくらいの垂直な崖がありますが,ここでは緑色をした50cm~1m程度の細長い岩石が,ちょうど枕を積み重ねたような状態で堆積しています(図12-8)。これは尾母(おも)層とよばれる粘板岩や凝灰岩の層の間に挟まった枕状溶岩で,海岸側から山のほうへと連なって分布しています。これと同じような枕状溶岩は,亀津の街のすぐ南側にある徳之島病院下の海岸(B)でも観察できます。ここでは,やや風化し黄色味を帯びた径50cmくらいの溶岩が,いくつも重なっています。井之川のものと比較してみましょう。」

2011年4月29日金曜日

露頭情報:No_029;鹿屋市郷の原

5万 鹿屋地域の地質図(15-17頁)には:塩基性溶岩は花里の南西の 321.9m峰付近、郷の原西方の 319.4m峰付近及び白水北東の丘陵に分布している。郷の原西方の採石場付近のものは一部には明瞭な枕状構造が認められた。地学のガイド:鹿児島県の61頁以降にもこの露頭についての記載があります。鹿児島大学理学部紀要(地学,生物学)1986年No.19 の149-169頁に、報文「大隈半島四万十帯の地質構造」があり、156頁の郷之原層の項でも枕状溶岩に触れられています。場所はこの附近の採石場(跡?)ですから今でも露頭が残っているかは不明です。
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?b=312355&l=1304851
2005年に「死都日本」のシンポジュームに便乗して南九州を歩いた時は、加久藤火砕流の露頭を2日間案内して頂いたので、この附近を歩く時間的余裕は無かった。高校時代に歩いた開聞岳やこの附近も、もう一度別の視点で歩きたいものだ。生きているうちに!
4月30日-5月2日の3日間、山梨と神奈川の露頭を歩く事にしたのでこの間ブログを更新しません。山梨の2箇所の露頭は文献がほぼ無い。神奈川の露頭は有名なので敢えて行く事も無いか?と思っていたが立ち寄れれば見て見たい場所。東北太平洋沖地震の余震もかなり収まってきた雰囲気なので、3月に予定していて駄目になった露頭歩きをやっと実現する気になってきました。

2011年4月26日火曜日

露頭情報:No_026;屋久島田代海岸

屋久島の枕状溶岩については、記載しているHP等が物凄い量だが、伝聞が多く肝心な事を記載しているHPは殆ど無い。だが、その中から下記はお勧めです。
http://staff.aist.go.jp/saito-mkt/yakushima/Yakushima_photo.html
これは20万分の1地質図「屋久島」の著者のHP。屋久島を歩くには良い資料だと思うが2,520円。画像もあります。露頭の位置はこの辺だろう。海岸まで細い道が続いているのと、ものによっては船行海岸と記載したものもあるので、かなり広い分布を示すものだろう。本当は別の露頭として登録しようかとも考えたのだが、殆ど繋がって居る雰囲気なので(勝手な想像だが)一つにしてしまった。このブログの、マダ訪ねていない露頭が余りにも多いための欠点。この島は花崗岩で有名だが付加体も興味深い。
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?b=302046&l=1303957
下記の「屋久島の自然」HPにも田代海岸の露頭画像があります。
http://www.yakushima.org/geology.htm#m
資料としては地質ニュース(廃刊となりましたが)の2008年7月号に、20万地質図関連記事が在るようだが残念ながらこの年度分は公開されていない。 画像は鹿児島県地学会の有名な写真集「地球からのメッセージ 鹿児島」の22.23に掲載されています。No_22は田代川河口近くの熊毛層群のものを、No_0.23は船行海岸の熊毛層群のものを紹介しています。