2009年12月29日火曜日

京都 鞍馬寺(1)

西に飛んで鞍馬寺の枕状溶岩です。鞍馬寺から貴船に掛けては石灰岩と緑色岩の分布で知られています。これは鞍馬寺の本殿から魔王殿に向う参道の階段脇に見られる枕状溶岩です。枕状溶岩といっても放射状節理あまり良く見えませんが、境内には数箇所に緑色岩とか枕状溶岩の案内板が掲示されています。大部分は草木に覆われていますが、この階段脇は比較的良く見える状態です。
さて、今年の画像はこの画像で一段落。来年1月2日頃まで観察の旅に出掛けますので、数日間お休みとなります。

2009年12月28日月曜日

神奈川県葉山町水源地橋(5)

水源地橋入口からバス停を1個横須賀市側に移動した交差点の風景。尚、バス路線を辿って山を越えた先には蛇紋岩の露頭と共に、ここと同様な保護を行った「阿部倉トンネル」が在ります。
阿部倉トンネルとその南側の道路は蛇紋岩の地山を掘削した為に、当初の計画を大きく上回る工期と工費を掛けて現在は車両が通行していますが、蛇紋岩地山で発生する膨張により、凄まじいまでの場所打ち杭を建てこんでいます。画像に観られる直径2mほどの円柱がそれです。膨張性地山でなければこんな大きな杭は全く必要では無いでしょう。嶺岡からここ横須賀まで、蛇紋岩と玄武岩の枕状溶岩はセットの様です。

2009年12月27日日曜日

神奈川県葉山町水源地橋(4)

この水源地橋下の露頭画像はこれが最後です。画像は対岸から偏光フイルターを使用して撮影しました。この画像に入っている範囲は枕状溶岩と思われます。後1枚この水源地橋入口バス停から一つ坂の上方面に移動した交差点附近の風景をご紹介して葉山町の露頭の紹介は終ります。
嶺岡から横須賀そしてこの葉山へと続く枕状溶岩ですが、この先大磯丘陵へと続きます。しかし残念ながら大磯丘陵の枕状溶岩の露頭はの一箇所は現在採石場から老人保健施設となり、崖面が吹き付けコンクリートで覆われてしまって観察する事は出来ません。同じ大磯丘陵でもう一箇所在る様なのですが、小さな流れに沿った道は崖上から落ちてきた雑木等に阻まれて私は露頭に辿り着く事は出来ませんでした。
2011年6月16日追記:地質関係の職業に従事する方から、大分以前にこの玄武岩はピクライト質玄武岩だと思うとのお話を聞いていた。その頃は余り枕状溶岩の材質には注意を払っていないと言うか、自分で調べる事も出来なかったし、判断する知識も無かっただけの話だった。
最近、千葉県内でピクライト質玄武岩の露頭を何度か観察する機会が有り、なるほど、外観はピクライト質玄武岩にそっくりで、表面の凹凸は「発泡」ではなくて、ピクライト質玄武岩の「カンラン石」が抜け出した後かもしれないと思い至った。
尚、5万分の1:横須賀地域の地質:34-35頁には、この露頭の岩質を「暗灰色,無斑晶質の岩石で、流理構造が発達している。一部に径40cm前後の枕状溶岩を数個含有する。鮫島(1970)は,この岩石をSiO2量が約51%のカンプトナイト(粗面玄武岩⇒多孔質もあるらしい:引用者追記)としている。」と書かれている。残念ながら判断材料は無いが思い出したので追記した。

2009年12月26日土曜日

神奈川県葉山町水源地橋(3)

溶岩の表面を接写して見ました。かなり汚れているので、これが溶岩の本来の色ではありません。スケールは10円硬貨。附近の雑草を使って表面をこすって見ましたが、緑色の草の色が追加されただけで駄目でした。
2011年6月16日追記:地質関係の職業に従事する方から、大分以前にこの玄武岩はピクライト質玄武岩だと思うとのお話を聞いていた。その頃は余り枕状溶岩の材質には注意を払っていないと言うか、自分で調べる事も出来なかったし、判断する知識も無かっただけの話だった。
最近、千葉県内でピクライト質玄武岩の露頭を何度か観察する機会が有り、なるほど、外観はピクライト質玄武岩にそっくりで、表面の凹凸は「発泡」ではなくて、ピクライト質玄武岩の「カンラン石」が抜け出した後かもしれないと思い至った。
尚、5万分の1:横須賀地域の地質:34-35頁には、この露頭の岩質を「暗灰色,無斑晶質の岩石で、流理構造が発達している。一部に径40cm前後の枕状溶岩を数個含有する。鮫島(1970)は,この岩石をSiO2量が約51%のカンプトナイト(粗面玄武岩⇒多孔質もあるらしい:引用者追記)としている。」と書かれている。残念ながら判断材料は無いが思い出したので追記した。

2009年12月25日金曜日

神奈川県葉山町水源地橋(2)

最初にこの場所を歩いた時には雨の後で濁った濁流が流れていました。しかも橋の下流には河床に下る事の出来るスロープが造られて河床がしっかり固められて居たので、もう枕状溶岩は無くなってしまったと思いました。その後、なんとも気になって三浦半島に出掛けた晴れた日にもう一度此処を訪れてこれを観付けました。これまで、これ程に表面に気泡が見えている枕状溶岩を観た事が無かったので驚きでした。
小生のデータ整理番号はNo.506.参考文献は産総研の「横須賀地域の地質」平作の露頭同様に葉山層群分布域の火山岩類の項(32-36)に記載されている。岩質は「安山岩質玄武岩」流理構造が発達していると記載されているが確められなかった、水中の岩には藻類が繁茂していて全く観察出来ない。これ以外にもこの上流に玄武岩質安山岩の露頭が有る筈なのだが高速道路橋脚附近では探し出せなかった。
尚、水源地橋入口から一つ坂上の国際村入口バス停附近は道路工事の保護構造からして、蛇紋岩の分布=膨張性地山が存在していた事が伺われる。
2011年6月16日追記:地質関係の職業に従事する方から、大分以前にこの玄武岩はピクライト質玄武岩だと思うとのお話を聞いていた。その頃は余り枕状溶岩の材質には注意を払っていないと言うか、自分で調べる事も出来なかったし、判断する知識も無かっただけの話だった。
最近、千葉県内でピクライト質玄武岩の露頭を何度か観察する機会が有り、なるほど、外観はピクライト質玄武岩にそっくりで、表面の凹凸は「発泡」ではなくて、ピクライト質玄武岩の「カンラン石」が抜け出した後かもしれないと思い至った。
尚、5万分の1:横須賀地域の地質:34-35頁には、この露頭の岩質を「暗灰色,無斑晶質の岩石で、流理構造が発達している。一部に径40cm前後の枕状溶岩を数個含有する。鮫島(1970)は,この岩石をSiO2量が約51%のカンプトナイト(粗面玄武岩⇒多孔質もあるらしい:引用者追記)としている。」と書かれている。残念ながら判断材料は無いが思い出したので追記した。

2009年12月24日木曜日

神奈川県葉山町水源地橋(1)

横須賀のお隣の葉山町にも枕状溶岩の露頭があります。性状は横須賀市平作とは異なり大変に発泡しています。河川敷に露頭が有り、ほんの少しの雨でも見る事が出来なくなりますし、生活排水が流れているのでしょう、余り綺麗な観察場所ではありませんが、こんな場所にもある事をご紹介しておきたいと考えました。橋の右岸のフェンスの傍にタラップがありますので、ここから降りる事が出来ます。
2011年6月16日追記:地質関係の職業に従事する方から、大分以前にこの玄武岩はピクライト質玄武岩だと思うとのお話を聞いていた。その頃は余り枕状溶岩の材質には注意を払っていないと言うか、自分で調べる事も出来なかったし、判断する知識も無かっただけの話だった。
最近、千葉県内でピクライト質玄武岩の露頭を何度か観察する機会が有り、なるほど、外観はピクライト質玄武岩にそっくりで、表面の凹凸は「発泡」ではなくて、ピクライト質玄武岩の「カンラン石」が抜け出した後かもしれないと思い至った。
尚、5万分の1:横須賀地域の地質:34-35頁には、この露頭の岩質を「暗灰色,無斑晶質の岩石で、流理構造が発達している。一部に径40cm前後の枕状溶岩を数個含有する。鮫島(1970)は,この岩石をSiO2量が約51%のカンプトナイト(粗面玄武岩⇒多孔質もあるらしい:引用者追記)としている。」と書かれている。残念ながら判断材料は無いが思い出したので追記した。

2009年12月23日水曜日

神奈川県横須賀市平作(6)

枕状溶岩の近くに建てられている説明です。最初に御紹介した露頭全体の画像と全く違うように思えるのは私の思い込みでしょうか?折角きちんとした調査報告書も公表されて居る事だし、その中には露頭をカッティングした後のスケッチだって有るのだから、同じ経費をかけるのならもう少しまともな説明板を設置して欲しいものです。大体、枕状溶岩の露頭に置かれた説明板で「なるほど!」と感服するようなのに殆ど出合った事が有りません。地学教育を疎かにしてしていることがこんな所にも現れるのでしょうか?

2009年12月22日火曜日

神奈川県横須賀市平作(5)


前の画像の一部を接写拡大したものです。これも放射状節理の様子が綺麗に見える模式的標本です。放射状節理は中央までは繋がらず、中央部は別の冷却構造だったと思われます。未だ少し動いていたのでしょう。
枕状溶岩は比較的断面がスパット切れたように見えるケースが多いですが、ここでは調査時にダイヤモンドカッタで整形をされたようです。

2009年12月21日月曜日

神奈川県横須賀市平作(4)


前の画像で御紹介した枕状溶岩の右側に見えていたものです。表面が整形されているので大変見易くなっています。次の画像ではこの中央と言ってもやや右よりの下側の岩片の拡大画像をご紹介します。
ここでは周囲をコンクリートで覆っただけの様ですが、最近は透明な固化材で自然の風景そのままに出来るそうで驚きました。水ガラス単体ではとても強度が出ないし、セメントミルクなどと混ぜると不透明になるし、保護された露頭に雑草や黴が生えているのを観ると、もう少し気の利いた保護法方は無いものか?と思っていましたが、既に有るようなので驚いた次第です。

2009年12月20日日曜日

神奈川県横須賀市平作(3)


>最大の岩片の右上部分をクローズアップ。放射状節理が鮮明に見える。それと共に放射状節理が岩の中心部まで到達していない事に注目して頂きたい。放射状節理が中央まで貫いていると信じ込んでおられる方々が多いが、枕状溶岩で中心部まで放射状節理が貫いているのは、枕状溶岩の先端部で固まった部分を除くと殆ど無い。大型の溶岩では内部の流動の為に少ない。
尚、岩質は橄欖石玄武岩。

2009年12月19日土曜日

神奈川県横須賀市平作(2)


この露頭で最も代表的な岩片。発見された直後にかなり表面を整形しているので、放射状節理も大変観やすい状態になっています。
参考資料は地質調査月報第27巻第7号、木村政昭氏他の「三浦半島で発見された漸新-中新世初期の枕状溶岩」webからpdfファイルで入手可能。小生のデータファイルNo.021.道路下なので少し判り難い。
場所は http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=351514&l=1393853

2009年12月18日金曜日

神奈川県横須賀市平作(1)


横須賀市平作の枕状溶岩の保護された露頭です。現在はバイパスの下になり、川岸にはフェンスが立てられているので、接近して観察するのは結構大変ですが、教育委員会に相談すればフェンスに設けられた扉の鍵を開けてくれるかも(?)しれません。フェンスを乗り越えるのは川の深さがあるので、フェンスの上からは少し怖い風景ですし、上流の橋付近からフェンスにすがって移動するのも結構きついですよ。双眼鏡で観察するのが一番良いかもしいれません。今回はまずは全景から。

2009年12月17日木曜日

長野市大柳

ここは1/25000地形図「須坂」にも記載がある有名な場所で説明板には「長野県内では、最も地理的条件が良く・・」とは書かれているものの、残念ながら観察には適していない。画像も私はこの1枚だけである。大部分が民家の裏側に面して居るし、何の為に掛けられているのか判らない網が掛けられている。心無いマニアがハンマーから守ろうとしているのか?
私が訪ねた時には幸い住宅には誰も居ない状況であったが、夏場に窓を開け放した状態でこの露頭をウロウロされたらさぞ気分が悪い事だろうと思われる。駐車出来る様な場所も殆どない。これなら直ぐ傍の「須坂」の露頭の方が観察に適している。私のデータ No.035.

2009年12月16日水曜日

長野県須坂市井上(3)

この画像も雑草に覆われていて残念ながら露頭全体を見る事が出来ません。ここには直径5cm程度の小さな枕状溶岩が在ると画像で見ていたのですが、幾ら探してもこの雑草と雑木に阻まれて探し出す事は出来ませんでした。須坂市の露頭はこの画像で終わりです。

2009年12月15日火曜日

長野県須坂市井上(2)

井上の枕状溶岩は妙徳山(1293.5m)の山麓に有りますが、実はこの妙徳山の中腹附近にも枕状溶岩が分布していると言う「うわさ」があります。残念ながらあくまでも「うわさ」で色々なHPの画像を探してみましたが今の所見付かって居ません。尚、長野市大柳の枕状溶岩もこの妙徳山の山麓ですから、山腹に枕状溶岩が在る可能性は否定出来ません。
場所は http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=363757&l=1381641
小生のデータ整理番号は No.016.
画面左側に比較的見易い枕状溶岩が存在しています。噴出時期は現地の案内看板(須坂市教育委員会)によれば2000万年前の第三紀中新世だとの事です。尚、この看板には「丸子町大村川流域(町指定)」にも枕状溶岩が分布していると記載しています。丸子町は内村川流域の虚空蔵をご紹介しましたが、残念ながらこの「大村川」が何処に在るのか判りません。どなたかご教示を頂ければ幸いです。

2009年12月14日月曜日

長野県須坂市井上(1)

虚空蔵の露頭写真の1枚が何故か時々在るのですが90度反時計方向に回転してUPされるので諦めて、須坂市の露頭画像をご紹介する事にしましょう。
ここの枕状溶岩は非常に隙間が多い事と上部から粘土質土壌が供給される為でしょうか?雑草と樹木がどんどん繁殖してしまい、大変観察し難い状態になります。

2009年12月13日日曜日

長野県上田市虚空蔵(9)

用水路に沿った崖面に大きな断面が顔を出しています。残念ながらそれ程はっきりとした放射状節理が観察出来る訳ではありませんが、夫々にそれらしいぶぶんが有りますので、観察の練習(?)には良いかも知れません。

2009年12月12日土曜日

長野県上田市虚空蔵(8)

これはどうやら、枕状溶岩の断面ではなく表面を見ているようですね。枕状溶岩と枕状溶岩の間には急冷ガラス層なのでしょうか?少し異質なものが間を埋めている様です。

2009年12月11日金曜日

長野県上田市虚空蔵(7)

左岸の農業用水路の状況図。
無理に削岩しての導水路とは異なり、夫々の枕状溶岩の形状が旨く残った形で用水路が形成されているのが嬉しい。顔を出している夫々の枕状溶岩が、様々な岩相を示してくれるのもまた嬉しいものです。
このような自然の姿と人間の営みが旨くコラボレーションして・・・なのです。

2009年12月10日木曜日

長野県上田市虚空蔵(6)

この画像では中央部の枕状溶岩は右側に断面を覗かせているものは冷却節理が綺麗に見えていますが円形断面とその左側のものと二つの断面が組み合わさっている様です。手前がかなり急角度で下に向っていた状態で流れ下ったのでしょうか?

2009年12月9日水曜日

長野県上田市虚空蔵(5)

水路に平行な崖の面に出ている枕状溶岩です。
左側の1個は冷却節理がはっきりと現れていますが、放射状とは言い難いですね。その右手には縦に楕円のものが有ってこれは放射状節理が幾つかの面で現れています。右側の横長のものは断面ではなくて表面なのでしょう。一体この附近の枕状溶岩はどの方向に流れようとしたのでしょうか?

2009年12月8日火曜日

長野県上田市虚空蔵(4)

前の画像の左隅に入っていた部分を別に撮影したものです。眉毛形の溶岩の左にあるものは比較的流れた方向が判り易い気がしますが、他のものは流れの方向が判断し難いですね。予めかなりの傾斜が在る部分を流れ下った溶岩は画面上での上下の乗り越えが在ってもそれ以上に傾斜があったためか判断に迷う事が多い様です。一つ一つの形状にとらわれずに全体の流れ方向を見定めて下さい。

2009年12月7日月曜日

長野県上田市虚空蔵(3)

それでは枕状溶岩の観察に入りましょう。
これは比較的大きな画像サイズにしてみました。岩の表面の大部分が苔で覆われているので、岩石の細かな節理や斑晶の有無などはこの崖の部分の露頭では確認出来ません。右側(下流)には比較的枕状溶岩の形状が判り易いものが集まっていますが、上流側は反対に少々それらしき形状に欠ける様にも思えますが、部分部分を良く見ていくと結構面白い形状のものがあって、これはもう少し拡大して写真を写しておくべきだったかなと反省しています。この露頭の一番右側辺りからもう少し下流側まで部分的に撮影したデータがありますので、色々とご覧頂こうと考えています。

2009年12月6日日曜日

長野県上田市虚空蔵(2)

水面が光って見え難いがほぼ同一地点から河床上流側を見た画像。ガードレールは国道。道路下を通る小さな支流の附近に階段が有る。看板よりは上流。
見える範囲の河床の岩石は緑色岩なので、皆同じつながりだと考えて良い。

2009年12月5日土曜日

長野県上田市虚空蔵(1)

国道254号線がこの画像の上のガードレール。霊泉寺川が内村川に合流した少し下流。虚空蔵と言う古刹がある。上田から鹿教湯温泉に向って左側。虚空蔵の駐車場を利用させて頂き、参拝後少し上流に歩けば案内看板と河床に下る階段(画面の左側)がある。河床と道路下の広い範囲に枕状溶岩が露出している。右岸は農地から山林に続いていて分布は確認出来ない。河岸の露頭は苔が生えている。コンクリート構造物は農業用水路と思われる。右端では枕状溶岩をくり抜いて用水を通している。画面右下の岩体は美しい緑色。河床の岩体は流れに削られていて形は判り難いが苔がないので観察はし易い。ここの画像はかなり在るので10枚以上観て頂く積り。内村川に沿って広い範囲に分布しているのか?ゆっくり歩き回ってみたい気持ちも強いが中々出来ない。画像の範囲内では無いが附近には幾つが岩脈が有る。
下流の小屋坂大橋の下にも露頭があるが河床に降りにくいので推奨はしない。「虚空蔵」と言う地名の露頭は他にも静岡や長崎にもある。

2009年12月4日金曜日

長野県上田市霊泉寺(9)

枕状溶岩の露頭位置とポットフォールの位置関係です。画面上を横切る赤い橋はこの稚児ヶ淵の上流側に掛かる橋です。ポットフォールの一部が見えているのがお判りでしょうか?兎に角、これ程大きなポットフォールが在るとは驚きでした。貫入岩脈で比較的サイズの小さな柱状節理が短く数段に分かれて発達したから、この様に大きくなれたのでしょう。一番最初にご紹介した画像の通り、2段に分かれています。岩脈が切れる場所の水深が深くなっています。ご注意下さい。其処を通り過ぎれば後は浅い流れです。

2009年12月3日木曜日

長野県上田市霊泉寺(8)

小さな枕状溶岩の転石?
斑晶が見事な転石の後は小さな転石です。枕状溶岩の露頭では時々この様な細長い転石を眼にする事があります。画像の右下にも小さいものが写っています。勿論、枕状溶岩と全く縁が無い場所でも細長い礫を見る事が在りますから、細長ければ何でも枕の破片だなどと強弁する積りは有りませんが、この二つは、周囲の状況から枕状溶岩の転石の可能性が強いと思いました。
斑晶の目立った転石と色調も似ています。でも、斑晶がこれには観られなかったので、念の為に写真に写しておいたものです。
本当に狭い領域でも、斑晶の状況がまるで違ったり、見た目の形状が違うかと思うと、遥か離れた場所で全く同じ様な形状と大きさの枕状溶岩を観るのは実に不思議な経験だと思っています。ここの画像も後一枚で終わりです。

2009年12月2日水曜日

長野県上田市霊泉寺(7)

斑晶のある岩の表面を拡大して見ました。表面が白っぽいのはこれが転石で細かい傷によるもので、岩そのものの色を示しているとは限りません。
斑晶は斜長石だと思います。
偏光顕微鏡で鉱物の同定の勉強を始めましたが全く進歩が無く、でも斜長石だけは直ぐに判るので最近は「斜長石」大好きになってしまいました。人生長いのだから諦めずにこつこつと学んでいこうと考えています。

2009年12月1日火曜日

長野県上田市霊泉寺(6)

これは転石なので、ここで取上げるのは筋違いかもしれないとは思うのですが、形状が見事に枕状溶岩の特徴を示しているので敢えてご紹介します。取上げる理由は表面に大変大きな斑晶(斜長石?)が見える岩が枕状溶岩の特徴を示す形状をしている事にあります。スケールの10円硬貨は23mm。斑晶は恐らく斜長石だと思いますが、溶岩にこれだけ大きな斑晶が出ると言う事は珍しい事だと思います。箱根溶岩でも斜長石の斑晶が見られるケースもある様ですが、これはかなり大きい部類に入るように思います。崖の露頭が既にご紹介したとおり、表面を詳細に確認出来なかったのが残念です。尚、別にやはり小型の細長い転石ですが、斑晶が全く入っていないものも有りましたので、その画像も別にご紹介します。

2009年11月30日月曜日

長野県上田市霊泉寺(5)

ガイドブックでは左岸側の山麓にあると書かれていましたが、実際には右岸側の水田の下の崖(3m程度?)にも枕状溶岩の露頭があります。水際のものが綺麗なのですが、さざなみの為に偏光フイルターが旨く使えず少し高い位置のものを撮影しました。

2009年11月29日日曜日

長野県上田市霊泉寺(4)

左岸の崖の大部分はこの様な雰囲気で苔や泥に覆われているので観察には少々不便な露頭である。苔や羊歯の類は注意してやれば綺麗に剥がす事が出来るが、その下には根っ子が張っていて、火山灰層と異なり結局観察には適していない事が多い。この様な場合は清掃するよりは流水の部分や反対側或いは範囲を広げて綺麗な露頭を探した方が早いと思う。
尚、この下流(内村川)の虚空蔵には観察に適した露頭があるのでそちらを推奨する。こればかりは実際に来て見なければ判らない!

2009年11月28日土曜日

長野県上田市霊泉寺(3)

霊泉寺川の左岸に見られる枕状溶岩です。この上から泥水が流れ下って来る為に泥と苔で表面は汚れていて、細かな表面の様子は判りませんが形状で充分枕状溶岩である事が判ります。
この枕状溶岩のある場所は浅田見山(1553.9m) からの尾根筋に当たりますが、下流の虚空蔵(別にご紹介します)の露頭からの距離は2km以内ではないかと思います。内村川には更に下流の和子大橋付近にも露頭がありますので、この附近の枕状溶岩の分布はかなり広い範囲に渡っているのではないかと思います。

2009年11月27日金曜日

長野県上田市霊泉寺(2)

左岸、ポットフォールから20m程度か?シート状溶岩と枕状溶岩が重なっている。こんな感じで河床の上30m以上まで積み重なっているのだろうか?或いはガイドブックの記載は伝聞で、「ポットフォールから下流へ30mの河床」が誤って伝わったのか?
溶岩の表面は苔や泥でかなり汚れているので、細かく観察されたいかたは大きなタワシでも持っていかれると良い。かなり下流から遡上してくるよりは、ポットフォールから膝附近までのズボンも濡れそうなのを覚悟して下った方が楽だと思う。

2009年11月26日木曜日

長野県上田市霊泉寺(1)

菅平口と同じ上田市ですが、千曲川の反対側。内村川の支流である「霊泉寺川」の霊泉寺温泉近くにある枕状溶岩の露頭をご紹介します。最初はこの枕状溶岩の露頭の目印と成る巨大な「ポットフォール」です。スケールがありませんが、雑草の大きさから見てもこれが如何に巨大か?想像が付くのではないかと思います。ここの露頭については「改訂 長野県 地学のガイド」39頁に掲載されています。ポットフォールは「稚児ヶ淵」と呼ばれる「ひん岩」の岩脈に穿たれたものです。小さな柱状節理が見事です。
「地学のガイド」には「(稚児ヶ淵から)下流の霊泉寺川北岸の、河床から約30mの高さには、見事な枕状溶岩の露頭があります。ここから霊泉寺温泉へは800mの道のりです。」と書かれています。
最初の年には、このガイドブックの記載に従って北岸のひどい藪を歩きましたが露頭には出会えませんでした。2年目に、ここでは子供達がポットフォールに飛び込んで遊んでいました。その子供達に下流の河床に下る道(ポットフォール下流左岸)を教えてもらって何とか下流に下り両岸をチェックし露頭に出会えました。

2009年11月25日水曜日

長野県真田町菅平口(6)


これは確証はありませんが、今度この附近を歩く時は何とか取り付くルートを探してみたいと思っている崖です。菅平口の枕状溶岩の露頭から少し菅平に向って登り、橋の附近から川沿いに少し下った場所で見かけました。残念ながら、崖の前に川が流れていてその方向からは取り付く事が出来ませんでした。黒い部分を見ていると枕状溶岩ではないかと思われてなりません。せめて三脚を据えてもう少し解像度の良い画像が得られたらと残念に思っています。
この画像で、菅平口の枕状溶岩の露頭紹介を終ります。上田市にはこの他にも枕状溶岩の露頭がありますので、次回は同じ市内の露頭です。11/26 画像が横転していたのを改善しました。結局原因不明で別の画像データと入れ替えました。

2009年11月24日火曜日

長野県真田町菅平口(5)


この枕状溶岩は露頭の比較的下の方にあったものです。下の溶岩の谷に旨く収まってしかも小ぶりです。上に有る溶岩との間には少し隙間が有るような雰囲気です。この様な形状の岩体を見ていると、どうしてもこれは本物の「枕状溶岩」と考える事になんらの問題が無い様に思えます。
この地域の枕状溶岩の画像はこれで終わりです。只、この露頭から少し上流に遡った場所で少しハッキリしないのですが、気になる崖が有りましたので、次回はその画像をご覧頂いて菅平口の画像を終ろうと思っています。

2009年11月23日月曜日

長野県真田町菅平口(4)


小さな画像で恐縮ですが、これは菅平口の(2)でご紹介した画像の左上隅にあった岩の部分をトリミングしたものです。この部分に触れるのを忘れていたので、取り上げました。
これは、幾つかの岩のブロックが集まって居る様に見えます。八木博士がここは「擬」だと言われるのはこの岩体を見ての事かもしれないと思いました。尤も「擬」は「偽」であるべきなのですが、細かい事はさて置いて、これは放射状節理が現れているものだと私は解釈しています。
様々な文献なので急冷による放射状節理が溶岩の表面から中心部まで続く様に書かれているのを目にしますが、枕状溶岩がそこで「停止」してその状態で固結する場合は、放射状節理が中心まで繋がるかもしれませんが、通常は中心部まで放射状節理は繋がらず途中で中央部を残して停止します。大きな画像が無くて残念です。

2009年11月22日日曜日

長野県真田町菅平口(3)


露頭の手前の部分です。一番左手の縦に筋目が入っているものに注目下さい。偶々裂け目が少し開いているのか?空洞なのか?この画像から確める事は出来ないのが残念です。この頃はデジカメのデータ量が小さくて、まだカメラ用に1GBのメモリーなんて存在しない時代だったのです。この石は下がポコンと膨らんだ形をしていますが、私はこれは枕状溶岩の周囲の放射状節理の部分が2~3個剥れて脱落してしまった為にこの様な形状になって居るのではないかと考えています。縦の割れ目の上の方にこれと直交する筋と、斜め右上に走る筋が見えませんか?ある程度の大きさの枕状溶岩では、急冷による放射状の冷却節理は中央まで達しない事が多く見受けられます。枕状溶岩らしい形状をしていない部分もこの画像にはありますが、それは別に珍しい事ではありません。
むしろ、教科書の様な形態のものの方が実は少ないのです。

2009年11月21日土曜日

長野県真田町菅平口(2)


上田市教育委員会の文化財の新しいHPにアクセスする事が出来ました。其処にはこの様に書かれています。「菅平口から約100m上がった菅平への旧道(廃道になっている)大日影の道路左側の崖に、枕状溶岩が露出している。これは俵状溶岩とも言われ、丸い溶岩のかたまりが枕か俵を積み重ねたようになっているものである。この付近の地層は、約3,000万年前にこの辺りが海だった頃、海底に堆積した第三紀層の内村層である。その頃海底に火山活動があって、玄武岩の溶岩を海底に噴出し、このような枕状になったと考えられている。溶岩が枕状になるのは、玄武岩のような粘性の低い溶岩が水中に流れるときなどに出来るものとされ、ここのものは変質玄武岩である。その後、長い年月の間に海底が隆起して陸地になり、現在の場所にその一部が露出したのである。なお八木健三博士の鑑定によると擬枕状溶岩とするのが正しいという。」(http://museum.umic.jp/map/document/dot138.html)
八木健三博士は、1974年に「アイスランド・ニュージーランド及び北米の枕状溶岩」を講演されており、長野県の著名な地質学者をご尊父とし、東北大学名誉教授を務められた地質学者ですが、どのような理由でこの枕状溶岩を「擬」枕状溶岩としたのか?お聞きしたかったですね。関連論文を探してみましたが残念ながら見付かりません。
何方かご存知の方はご教示下さい。

2009年11月20日金曜日

長野県真田町菅平口(1)


続けて群馬県の露頭をご紹介するか?迷ったのだけれど、少し群馬県を外れて長野県の露頭をご紹介させて頂く事にしました。これは現在の上田市真田町から国道144号線を菅平方面に上り、菅平口の信号で144号と406号に分岐するのを菅平方面に406号をホンの少し遡った場所。未だ坂道を登りながらバックミラーで分岐の標識が見える辺りに、カーブで余りに小さいので目立たない「菅平湖」に続く「大洞川」を渡る橋が在ります。橋の手前に左手に入る旧道があり、私が此処を歩いた時には「立入禁止」の看板が立っていました。旧道入口附近に車を置いて(決して入ろうとしない事、当時でも転石がごろごろしていました)徒歩で5~8分程度歩くと、この景色が見えて来ます。露頭の事は当時の教育委員会のHPに掲載されて居ましたが、場所が記されていなかったので、電話をして場所をご教示頂きました。此処に限らず、場所を公表しないケースが多いですね。人間性悪説なのでしょうか?残念ながらこの露頭について資料は殆ど見付ける事が出来ていません。しかもアドレスが変わったのか教育委員会のHPも今はアクセス出来ません。(追記:新しいアドレスに移転していました)
こんな四阿山(2332.9m)の山麓の様な場所に枕状溶岩が在るとは実に思いもしませんでしたが、これが、他にも似たようなケースが多くて驚きました。地形図データはペーストしてご覧下さい。
小生のデータ整理番号はNo.010. 座標はhttp://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=362939&l=1382137

2009年11月19日木曜日

群馬県渋川市小野上岩井堂(9)


岩井堂の景観。この附近から十二ヶ岳・小野子岳へのハイキングコースが有るらしい、何れも古い火山で、十二ヶ岳には爆裂火口跡が残っているとも聞くが小生は訪ねた事が無い。岩井堂は標高457m余り。溶結凝灰岩なのだろうか?残念ながら此処を歩くだけの時間の余裕が無かったので、何れここも再訪したい場所となって居る。さて、岩井堂はこの画像で一段落。さて次は何処に移動しますかな?
12/10追記:匿名氏から岩井堂に行く場合の駐車場所についてコメントを頂きました。この附近は駐車場所に皆さん困って居られるようですね。私もドライブインで駐車を断られましたので結局対岸の公園に移動した次第です。

2009年11月18日水曜日

群馬県渋川市小野上岩井堂(8)


さて、これは単なる転石なのか?或いは枕状溶岩の転石の破片なのか?迷う処ですが、私はこれが枕状溶岩の周辺部(最外周ではない)の放射状節理の部分が冷却節理部分で破断したものと考えました。
如何お考えでしょうか?
今となってみれば、もう少し真上から写せばよかったのですが、これを撮影する時はこの角度からの方が放射状節理の雰囲気が出るかと想像しての事です。大きさが判らない画像で申し訳有りません。

2009年11月17日火曜日

群馬県渋川市小野上岩井堂(7)

この画像も右岸側の河床で観察したもの。
残念ながらこの附近を歩いた時には採集用のハンマーを持ち歩いていなかったが、適当な大きさの礫岩を力一杯この様な岩体に投げつけても、全く割れるような雰囲気ではなかった。この褐色色の岩石は他でも見掛けたがかなり「硬い」と思って間違い無さそうだ!
只、硬そうな雰囲気と同時に一番奥の岩体には象の鼻の様な溶岩が流れた様な形状を示す雰囲気もある。

2009年11月16日月曜日

群馬県渋川市小野上岩井堂(6)

少し大きな画像でここの枕状溶岩の表面を見て頂きましょう。これは、右岸側の公園から河床に降りた処にあります。礫岩の様なブロック状の岩塊が折り重なって居る様に見えますでしょうか?考えようによっては水冷破砕された「ピローブレッチャ」の塊とも思えない事はありませんが、これでも溶岩の表面です。恐らく、急冷したガラス質層は既に風化等で失われています。一つ一つをもし取り出して見る事が出来れば、非常に硬い礫状になって居る事が判ります。
もっと小型の枕状溶岩として水中に流れ出したとしたら、恐らく急冷層の固さに負けて、流れる事が出来ない様な状態で在ったと思われるのですが、溶岩の大きさが少々大きかった為に表面の固化した層をも巻き込んで破壊しながら流れ進んだものと思われます。ここの枕状溶岩の表面形状をもう一点とおそらく枕状溶岩の断片と思われるものを一点ご覧頂こうと考えています。

2009年11月15日日曜日

群馬県渋川市小野上岩井堂(5)

これも大きな岩体を対岸から眺めたもの。
良く見ると下の方画クサビ状に重なっている。これだけ表面に礫岩様にゴツゴツしているのだから、溶岩としての粘性はかなり高いのだろうと思うけれど、一つ一つの岩体の大きさも普通じゃないので、押し潰してしまうのかも知れない。
大きな岩体の画像はこれで一区切り。

2009年11月14日土曜日

群馬県渋川市小野上岩井堂(4)

もう幾つか大きな岩体の様相をご覧頂きましょう。
これは上側の形状から見ると大きな岩体に斜めの亀裂が出来て少しずれてしまったとも見えますが、近付いて詳細に検討出来なかったので少々無責任かもしれませんが、此方を向いている面の斜めの線の上下の岩の状態から左側が流れた後に、右側の枕状溶岩が乗っかっていると判断しました。他にも似たような画像がを幾つかご紹介します。
典型的なと言われる周辺に急冷ガラス質層を持ち、程よい大きさの枕状溶岩ではない限り、枕状溶岩を観察するには兎に角数を沢山見ていくしか方法は無いようです。

2009年11月13日金曜日

群馬県渋川市小野上岩井堂(3)

前の画像では枕状溶岩が孤立した状態で存在していましたが、この部分では大きな枕状溶岩が沢山積み重なって居ます。でも、表面のガサガサした雰囲気は変わりませんね。これまでにご紹介した枕状溶岩の中では外側がこんなにガサガサした「礫岩」の様な雰囲気の処は珍しいのですが、こんな雰囲気の枕状溶岩は私の歩いた範囲では神奈川県の山北と言う場所にもあります。
この画像もスケールが無くて大きさを実感し難いと思いますが、背後の緑の部分は谷地柳だと思いますがススキらしい枯葉色の部分も含めて、上流側でこの露頭になんとか辿り着こうと「やぶこぎ」をやった時は視界を塞いでいましたから柳やススキの高さは優に2mは有ったと思います。実に大きな岩体でした。

2009年11月12日木曜日

群馬県渋川市小野上岩井堂(2)

ここの枕状溶岩は一つ一つが非常に大きい。
対岸からの撮影なのでスケールを入れる事が出来ないが、「岩井堂(1)」を参照して頂きたい。表面が非常にゴツゴツしていて礫岩の様な雰囲気にまるでレンガを適当に貼り付けたかの様な雰囲気。この下流にはガイドブックによると小型のものが在るらしいのだが(ガイドブックに写真有)残念ながら観察出来なかった。

2009年11月11日水曜日

群馬県渋川市小野上岩井堂(1)

データNo.015 
群馬県渋川市岩井堂付近。http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=363337&l=1385347
この露頭については「日曜の地学 群馬の自然をたずねて」に詳しい。98頁からの「18.小野上の河原(岩井堂)」を参照。200万年前に東西30km,南北15kmの巨大な陥没が起こり火山活動がも始まったらしい。同じ群馬県で下仁田の「本宿」と同様の現象が起こったようだ。「本宿」については「日本油田・ガス田図 本宿 1969年」にを参照。陥没から現在に至る経過が図表で表現されている。陥没地に湖が形成され、そこに熔岩が流れ込ん、或いは、水底から熔岩が噴出して枕状溶岩が形成されたもの。
前記案内書「群馬の自然をたずねて」にはドライブインに駐車してその中を抜けてと記載してあるが混雑でそれも出来ず、吾妻川の上流から左岸を下ってみたが露頭の手前で支流に往く手を阻まれた。対岸に公園があるのでそこから観察。後に地形図をチェックした範囲で現場を踏んでいないが、下流側の農産物直売所附近から線路を越える事が出来れば、そこから川岸に出て遡上する事が出来そうな雰囲気が有る。
かなり繊細な構造の放射状節理と同心円構造を持った岩体の画像が、前記案内書には掲載されているがそれは見る事が出来なかった。最初の画像は全体の大きさを見て頂く為に国道353号線を走るライトバンを入れている。
次の画像でこの中央の画像を拡大してご覧頂く。
ここの岩体は一つ一つがかなり大きいのと、枕状溶岩の表面がブロック状に破砕されている事が特徴の様だ。

2009年11月10日火曜日

群馬県片品村戸倉片品川河床(6)

これは枕状溶岩ではなさそうだが・・
小さな転石だから、この附近に分布するのか?もっと上流なのか?不明だが、面白い岩相を見せる小岩片。
スケールの硬貨は22mm。黒系の恐らく粘板岩だろうと思われる部分の境界を見ていると「剪断」を受けたものがそのまま固着しているように思える。残念ながら、素人の悲しさと言うより勉強不足でこのような時に夫々の岩質が見分けられない。上流には黒色頁岩が分布して居る事が文献にも記載されている。
この附近の地層がこれほどに剪断と高圧を受けて居る事の証。小生はあまり見た事が無い岩相なので掲載。
戸倉附近の画像はこれで終わり。さて次は何処の露頭に行きましょうか?やはり群馬県を歩きますか!