原則更新を停止します。 このブログは地質の素人の現70歳の素浪人が、地質図・論文・websiteを閲覧して露頭情報を収集し、その情報と主に足で稼いだ露頭画像を御紹介してきたブログです。素人故の恐れ知らずで取り組んでしまいましたが、残る人生の短さと現在の体力を歩き残した露頭の余りの多さとを天秤に掛けるとそろそろ「撤収」を考える時期だと思い至りました。 火山カメラの映像をUPしてまでこのブログを維持するのも如何かと思い至りましたので、このブログの更新を停止する事と致しました。 枕状溶岩関連記事についてはそのまま残そうと考えています。2年程度の心算で、2009年9月8日に始めたこのブログがここまで続けられるとは思って居ませんでした。 長い間お付き合い頂き有難う御座いました!
2009年11月21日土曜日
長野県真田町菅平口(2)
上田市教育委員会の文化財の新しいHPにアクセスする事が出来ました。其処にはこの様に書かれています。「菅平口から約100m上がった菅平への旧道(廃道になっている)大日影の道路左側の崖に、枕状溶岩が露出している。これは俵状溶岩とも言われ、丸い溶岩のかたまりが枕か俵を積み重ねたようになっているものである。この付近の地層は、約3,000万年前にこの辺りが海だった頃、海底に堆積した第三紀層の内村層である。その頃海底に火山活動があって、玄武岩の溶岩を海底に噴出し、このような枕状になったと考えられている。溶岩が枕状になるのは、玄武岩のような粘性の低い溶岩が水中に流れるときなどに出来るものとされ、ここのものは変質玄武岩である。その後、長い年月の間に海底が隆起して陸地になり、現在の場所にその一部が露出したのである。なお八木健三博士の鑑定によると擬枕状溶岩とするのが正しいという。」(http://museum.umic.jp/map/document/dot138.html)
八木健三博士は、1974年に「アイスランド・ニュージーランド及び北米の枕状溶岩」を講演されており、長野県の著名な地質学者をご尊父とし、東北大学名誉教授を務められた地質学者ですが、どのような理由でこの枕状溶岩を「擬」枕状溶岩としたのか?お聞きしたかったですね。関連論文を探してみましたが残念ながら見付かりません。
何方かご存知の方はご教示下さい。
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