2011年6月17日金曜日

笹本征男さんのこと-封印された原爆報告書-1/5

笹本征男さんの事を少し書いて置きたい。1969年頃からの永いお付き合いだったが、2010年3月20日に2週間ほどの短い治療入院の予定だったのに、入院のまま帰らぬ人となった。
2010年8月6日にNHKから放送された広島放送局制作の「封印された原爆報告書」。今年2011年6月24日,放送文化基金の「テレビドキュメンタリー番組部門本賞」を受賞する。また、日本科学技術ジャーナリスト協会から「科学技術ジャーナリスト大賞」を受賞している。この番組は、笹本征男さんの著書「米軍占領下の原爆調査」(ISBN4-915924-65-3:1995年)が基底にある。勿論、彼も今回受賞した番組制作にはアドバイザーとして参加していたが、残念ながらその完成を観ずに逝去された。
 画像は、確か彼が二度目の入院生活を過していた或る日。病院に見舞いに行った私に、広告の裏紙にぎっしりと書き込んだメモを手に握り締めて満面の笑みを浮かべて差し出したものが、立派な表装の詩集として刊行されたその表紙だ。ハックルベリーフインの詩を初めとして、なんだか「詩が溢れ出る様に湧き出すんだよ!」と言う。永い彼との交友の中で文学を語り合った事もあったけれど、彼の口から「詩」が流れ出した事は無かった様に思う。
 彼が病院で「前立腺癌」を宣告された時、更に1年後、胃を全摘せねばならないほどに胃癌が進行していた事が宣告された時、丁度 私が悪性リンパ腫の進行を宣告された時の様に、彼の脳裏を果たせなかった様々な願いや幼かった頃の思い出が、父親の働いていた水力発電所、高校時代の郷里の蟠竜湖や、地方競馬場で働いていた頃の母の姿等や、福岡での辛い思い出などが渦巻き、駆け巡ったに違いない。幸い、彼の素晴しい友人・知人のご努力で出版に至った事は嬉しい。
 そうとは知らずに最後と成ってしまった入院前のメールにはこの様に書かれていた。
「1月5日から7日まで、広島に行って来ました。今年の夏、NHKスペシャルで、私が追求してきた原爆調査を主題とする番組を、広島放送局で制作することが、正式に決まり、そのための打ち合わせでした。日本政府が原爆被爆者をアメリカに「売った」とも言える、原爆調査の問題を、NHKが取り上げることは、考えていませんでしたので、夢ではないか、と大げさに思うような心境です。デレクターが私の本に出会い、「目からうろこが落ちた」という経験をしたことが始まりです。そのデレクターは34,5歳です。時代が変ると思いがけない人が生まれ、思いがけないことが起きるものだと、思っています。番組が出来上がるまで、元気でいたいと思います。さて、最近、同じ、オリンパスのデジタルカメラを安く中古で買いました。1万2千円でした。このカメラの扱い方を教えてもらえたらと考えています。」
また、その後のメールでは
「前立腺がんが、尾てい骨に転移している影響で、でん部のしびれ感、足の痛みなどが出ています。新しい薬を飲み始めました。このような状態に付き合っていくしかありません。」と病状を伝えて来ていた。
 「僕はね、もう全力疾走で生き抜くしかないんだよ!」は渋谷駅附近の居酒屋で私と酒を飲み交わしながらの、思い出したようにフット彼の口から出る言葉だった。

何故、この様な個人的な思い出をこの地質系のブログに書くのか? 不思議に思われるだろう。
実はこの「原爆調査」には、その大多数が医学系の「日本帝国の英知」が集まって係ったのだが、その中には渡部武男氏と言う、当時東京大学理学部地質学教室教授が関係して居る事が判っている。勿論、地質学者が彼だけだった訳では無い。他にも京都大学や地質調査所の職員も含まれていた事が判っている。しかし、この「原爆調査」に関しては誰もが戦後沈黙を通した。

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