同じ岩片の頭部の接写画像。上側が枕状溶岩の外側表面だとすると、左側の面は冷却節理の出来方と矛盾していない。外側表面の急冷ガラス質層は見られないけれど、一つだけだが右側に気泡様の構造が見られる事からも枕状溶岩の破片と見て良さそうに思えます。手前の表面には方解石か石英の薄い幕が所々に見えます。
急冷によるガラス質は、ガラス=脆い と言う関係は必ずしも成立しない。昨日、ガラス質安山岩の薄片を作成するのにプレパラートに接着したものを小型の切断機で切断したのだが、他の石英結晶を含む岩石等とも比較して大幅に切断に手間取ってしまった。切断面は頁岩の様に綺麗だったが、800番程度まで研磨し厚みを確認する為に偏光顕微鏡で観察したら、小さな斜長石の結晶が黄色に小さく並んで美しかった。
原則更新を停止します。 このブログは地質の素人の現70歳の素浪人が、地質図・論文・websiteを閲覧して露頭情報を収集し、その情報と主に足で稼いだ露頭画像を御紹介してきたブログです。素人故の恐れ知らずで取り組んでしまいましたが、残る人生の短さと現在の体力を歩き残した露頭の余りの多さとを天秤に掛けるとそろそろ「撤収」を考える時期だと思い至りました。 火山カメラの映像をUPしてまでこのブログを維持するのも如何かと思い至りましたので、このブログの更新を停止する事と致しました。 枕状溶岩関連記事についてはそのまま残そうと考えています。2年程度の心算で、2009年9月8日に始めたこのブログがここまで続けられるとは思って居ませんでした。 長い間お付き合い頂き有難う御座いました!
2010年7月10日土曜日
2010年7月9日金曜日
埼玉県吾野高麗川(2)
2010年7月8日木曜日
埼玉県吾野高麗川(1)
2010年7月7日水曜日
福島県いわき市入遠野官沢(6)
その後、枕状溶岩の露頭は発見当時は「官沢」のバス停附近と官沢に在った事が判明しました。
現在ではバス停の前は畑地になっており、その周辺はこの様な結晶片岩の石垣で囲まれています。又、道路下の官沢橋は両岸をしっかり石垣で覆われているので確認する事が出来ません。調査が行われたのが1974年かその1-2年前の事だと資料の発行年代から伺えますが、護岸工事が行われたのも1974年(昭和49年12月竣工)と橋の碑文から判明しました。産総研の一色直記氏のこの地域の最初の報文は地質学雑誌第80巻第7号(1974年刊)に掲載された「阿武隈山地太平洋側の中新世枕状溶岩」だと思います。1/5万地質図「竹貫地域の地質」が発行されたのは1977年です。
後日、別項に在る様にバス停の南側に露頭が有る様ですが、再訪する機会に恵まれません。
現在ではバス停の前は畑地になっており、その周辺はこの様な結晶片岩の石垣で囲まれています。又、道路下の官沢橋は両岸をしっかり石垣で覆われているので確認する事が出来ません。調査が行われたのが1974年かその1-2年前の事だと資料の発行年代から伺えますが、護岸工事が行われたのも1974年(昭和49年12月竣工)と橋の碑文から判明しました。産総研の一色直記氏のこの地域の最初の報文は地質学雑誌第80巻第7号(1974年刊)に掲載された「阿武隈山地太平洋側の中新世枕状溶岩」だと思います。1/5万地質図「竹貫地域の地質」が発行されたのは1977年です。
後日、別項に在る様にバス停の南側に露頭が有る様ですが、再訪する機会に恵まれません。
2010年7月6日火曜日
福島県いわき市入遠野官沢(5)
2010年7月5日月曜日
福島県いわき市入遠野官沢(4)
2010年7月4日日曜日
福島県いわき市入遠野官沢(3)
登録:
投稿 (Atom)