2010年7月10日土曜日

埼玉県吾野高麗川(3)

同じ岩片の頭部の接写画像。上側が枕状溶岩の外側表面だとすると、左側の面は冷却節理の出来方と矛盾していない。外側表面の急冷ガラス質層は見られないけれど、一つだけだが右側に気泡様の構造が見られる事からも枕状溶岩の破片と見て良さそうに思えます。手前の表面には方解石か石英の薄い幕が所々に見えます。
急冷によるガラス質は、ガラス=脆い と言う関係は必ずしも成立しない。昨日、ガラス質安山岩の薄片を作成するのにプレパラートに接着したものを小型の切断機で切断したのだが、他の石英結晶を含む岩石等とも比較して大幅に切断に手間取ってしまった。切断面は頁岩の様に綺麗だったが、800番程度まで研磨し厚みを確認する為に偏光顕微鏡で観察したら、小さな斜長石の結晶が黄色に小さく並んで美しかった。

2010年7月9日金曜日

埼玉県吾野高麗川(2)

吾野鉱業所の手前から高麗川に下る細い道があります。河川敷でこんな岩片を見掛けました。枕所溶岩の放射状節理が一個だけ抜け出した様な形状なのです。気泡が見えないのですが、特に外側に相当する部分の割れ方から見て間違いないだろうと思います。この岩片の別の画像も見て頂きます。

2010年7月8日木曜日

埼玉県吾野高麗川(1)

橋本光男氏の「日本の変成岩」17頁には、図2.1a の説明文として「枕状溶岩。ひしゃげた玉が多数積み重なったようにみえる。これは古生代のもので、今は緑色岩になっている。埼玉県飯能市吾野鉱業所内に露出しているもの」と脚注が附けれれて居る。これがその「吾野鉱業所」本来は石灰岩の採掘目的で設立された。この附近の何処かで露頭に出会えないかと歩き回っているが今の所残念ながら・・・である。

2010年7月7日水曜日

福島県いわき市入遠野官沢(6)

その後、枕状溶岩の露頭は発見当時は「官沢」のバス停附近と官沢に在った事が判明しました。
現在ではバス停の前は畑地になっており、その周辺はこの様な結晶片岩の石垣で囲まれています。又、道路下の官沢橋は両岸をしっかり石垣で覆われているので確認する事が出来ません。調査が行われたのが1974年かその1-2年前の事だと資料の発行年代から伺えますが、護岸工事が行われたのも1974年(昭和49年12月竣工)と橋の碑文から判明しました。産総研の一色直記氏のこの地域の最初の報文は地質学雑誌第80巻第7号(1974年刊)に掲載された「阿武隈山地太平洋側の中新世枕状溶岩」だと思います。1/5万地質図「竹貫地域の地質」が発行されたのは1977年です。
後日、別項に在る様にバス停の南側に露頭が有る様ですが、再訪する機会に恵まれません。

2010年7月6日火曜日

福島県いわき市入遠野官沢(5)

これが展示品のもうひとつの画像。大きさは前の画像を参照して下さい。比較的放射状節理が良く発達しているが、10-15cm程度の厚みの部分で一端途切れている。冷却速度がこの附近で変わったと見てよいだろう。

2010年7月5日月曜日

福島県いわき市入遠野官沢(4)

この画像は市内のある博物館所蔵の枕状溶岩の画像です。この博物館で学芸員の方にお会いし、この展示品についてご教示をお願いしました。快く資料を後日送って下さるとのお話でしたが、残念ながらその後無のつぶてでした。ヒョットしたら博物館にこの画像の資料が残っていなかったのでしょうか?これだけの大きさの露頭が現在も在れば直ぐに判ると思うのですが、残念ながら3回通っても探し出す事は出来ませんでした。

2010年7月4日日曜日

福島県いわき市入遠野官沢(3)

枕状溶岩の画像は中々出て来ない!これは少し下がった場所に在った結晶片岩。なんせこの附近は御斉所変成岩のメッカ。この結晶片岩は偶々その風化の過程で円錐形に減ってしまったのか?丸い模様が面白くて写したのだが、結晶片岩の片理は興味深い。周辺の構造を見ていると円柱状の構造が在るような気がしてチョット新鮮な面を出してみたかったけれど、叩いた後に出て来るものが円柱状じゃなければ詰まらないと思って辞めにした。