原則更新を停止します。 このブログは地質の素人の現70歳の素浪人が、地質図・論文・websiteを閲覧して露頭情報を収集し、その情報と主に足で稼いだ露頭画像を御紹介してきたブログです。素人故の恐れ知らずで取り組んでしまいましたが、残る人生の短さと現在の体力を歩き残した露頭の余りの多さとを天秤に掛けるとそろそろ「撤収」を考える時期だと思い至りました。 火山カメラの映像をUPしてまでこのブログを維持するのも如何かと思い至りましたので、このブログの更新を停止する事と致しました。 枕状溶岩関連記事についてはそのまま残そうと考えています。2年程度の心算で、2009年9月8日に始めたこのブログがここまで続けられるとは思って居ませんでした。 長い間お付き合い頂き有難う御座いました!
2010年12月25日土曜日
下田市板見漁港(28)崖側露頭
崖側露頭の2枚目の画像の下の方に見えている凝灰岩質砂層の中の一部分です。シャッターを切った時は、斜交層理の一部分が一部分取り残されたのだろうと思っていたのですが、良く見ると違うようです。淡青色に着色されている中央部に少し粗い礫層が見られます。その礫層が淡青色の着色部の右側の外の部分まで自然に繋がっています。着色部が周辺部よりやや侵食に強い程度には硬いのか?少し浮き上がって居る様に見えます。
どうやら中心部の少し粗い粒子の部分の透水性が高く淡青色の成分を持った地下水が流れてこの様な模様を作ったのでしょう(と教えて頂きました)。
眼の形の様な紡錘形の低い方が色合いが濃くなって居る事。傍の割れ目の附近にもやはり濃い目の部分が有るのがその推定理由です。そう言えば近くの三穂ヶ崎で観察出来る「蜂の巣状風化」の低い部分も同じ様な色合いに染まっています。
ここ板見漁港の参照した文献に記された露頭は素人には判断に困る露頭でしたが、どう見ても「枕状溶岩」でも「偽枕状溶岩」でも無い様に思えてなりません。もう一度(20)でご覧頂いた崖の部分を抽出してみても、画面右手からぐずぐずと崩れ落ちてきた溶岩と思えてなりません。次回もう一度此処を観察する機会が在れば是非少しだけハンマーを振るってみたいと思います。でもまだ600箇所近く歩いてみたい露頭が在るのでどうなる事やら?
2010年12月24日金曜日
下田市板見漁港(27)崖側露頭
2010年12月23日木曜日
下田市板見漁港(26)崖側露頭
2010年12月22日水曜日
2010年12月21日火曜日
下田市板見漁港(24)崖側露頭
2010年12月20日月曜日
下田市板見漁港(23)崖側露頭
2010年12月19日日曜日
下田市板見漁港(22)崖側露頭
崖側の最初の画像の右に少し写っていた防波堤の上辺りからその画像の右側を撮影した画像です。不整合と言って良いのだと思いますが、問題は火山灰・凝灰岩質砂層の上に見える溶岩達です。此処には俵状の枕状溶岩が在る様に思えて上の草原に出たくて何処かに上る道が無いか探しましたが駄目でした。もう一つ、画面右側から斜めに大きなスベリ面が見えますね。その上に礫岩の様な層が重なりその上には凝灰質砂岩層が在ります。その凝灰質砂岩層が左側に行くに連れて消滅しています。これは大きなブロック状岩塊が何処からか滑り降りて来たもので、「東部支部巡検報告」にある「凝灰質砂岩層とブレッチャー」が上の岩塊とは別の時期の、少なくとも10cm以上の凝灰質砂岩が堆積した後の産物ではないか?と思った次第です。
マア、素人の言う事ですから、良く疑ってより正しそうな解釈を見付けて下さい。
マア、素人の言う事ですから、良く疑ってより正しそうな解釈を見付けて下さい。
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