2011年3月26日土曜日

東北太平洋沖地震の情報:3

東北太平洋沖地震の事が興味深く、様々なデータを自分で工夫してグラフを書いたりしていますが、いかんせん素人なので、中々知りたい事が判る状態にはなりません。

京都大学防災研究所地震予知研究センターHPに「中部地方北部から中国・四国地方における地震活動」と言うコーナーが設けられています。
近畿地方とその周辺部の地震活動についての解説があります。

USGS:アメリカ地質調査所の地震観測データを利用して同じく京都大学防災研究所の森さんが震源の破壊過程を動画で表現しているものがあります。なんとなく判った積りになれるので助かります。
“Results”の部分をご覧下さい。

森さんのHPには新燃岳の噴火画像が少しと地震関連の画像が沢山あります。

東北太平洋沖地震の震源分布:平面分布


古いデータを削除しています。
必要なら新しい日付のデータを同じラベルから
参照して下さい。


海上保安庁のHPに海底地形図に震源地をマッピングした震源情報が在って興味深い。
http://www1.kaiho.mlit.go.jp/GIJUTSUKOKUSAI/jishin/11tohoku/index.html#epi_all
巧く入れない場合は、海上保安庁>海洋情報部>防災情報>東北太平洋沖地震>3月11日から14日までに発生した地震の震央分布 と 深さ60km以浅で発生した地震の震央分布:地震発生前後 です。

東京都日の出町大久野(6)

黒瀬川帯の蛇紋岩露頭。急傾斜の道路の反対側の谷には花崗岩が見られるらしいのだが、藪が凄くてこの地点からは下る事が出来ない。調査した時は谷の下流側から遡上したらしい。尚、この「黒瀬川帯」については異論も在りいまだに「定説」とは言えない雰囲気ですネ。

2011年3月25日金曜日

東北太平洋沖地震の震源分布:時間変化


ブログの許容容量の関係で古いデータは削除する事にしました。
後日作成した他のグラフが有りますのでそちらを参照下さい。
枕状溶岩には関係有りませんが、エクセルでグラフを書いてみたのでご紹介します。私は千葉県北西部に住んでいますが、今回の東北太平洋沖地震の余震の頻度が何故か大変に多い様に思えました。地震については全くの素人ですが、気になったので気象庁の地震のデータベース(16日以降のデータが公表されていません)から、3月9日から15日一杯の、マグニチュード3以上の地震データを取り出し、北緯35度(館山附近の緯度)から北緯40度(黒崎・北山崎附近)の緯度範囲で、東経137度(伊良湖岬灯台付近)から東経145度(太平洋上:データの存在した範囲)のデータを抽出しました。これより西や北側・南側は急激にデータ量が減少するので無視しても大きな差は出ないと考えました。抽出したデータ数は1787個。地震発生密度を別の形で表現する為に、6時間毎の地震発生数で折れ線グラフを追加(右目盛)しました。
拡大して観て頂ければお判りだと思いますが、滑った部分の余震よりもその南側の「余震」発生数が滑り領域よりも遥かに多くなっています。何故か滑り領域の北側方向の北緯40度30分以北での「余震」は殆ど有りません。館山よりも南側の空白域も少々気になる部分です。印刷後スキャンしたので補助目盛が薄くて申し訳在りません。
気象庁が早く16日以降のデータを公表出来る様になれば良いのですが・・・

東京都日の出町大久野(5)

中にはこの様に放射状の冷却節理と思わせるような割れ目がみられる岩も有る。放射状に見えない事も無いが、やはり違うのだろうな!と言った形状である。

2011年3月24日木曜日

東京都日の出町大久野(4)

「関東山地の黒瀬川帯」巡検の最終地点の蛇紋岩露頭傍の崖に見える怪しい形状。但し、この附近は風化が激しくてボロボロなので、この部分まで這い上がれない。地質図に掲載されていた水口ユニットの露頭は、此処から急坂を下ってヤヤ広い通りに出たら左手(東)に向って坂を登った辺りになる。この地点から坂を登る(右手)と道路の右側に蛇紋岩の露頭がある。

2011年3月23日水曜日

東京都日の出町大久野(3)

嶺岡の馬蹄石や、横須賀の蛇紋岩地帯で見られるノジュールの中には巨大なものがあるがもっと整った形状をしている。ノジュールとしては中途半端な形状だと思う。わざわざ天皇即位記念に飾る位だから、ひょっとして掘り出された当時は不思議な色合いだったかも⇒橄欖石⇒知れない!等と思うが、ネットで調べたりしたが全く不明のまま!大きけりゃ珍しいとも思えない。武蔵風土記に記されていたのだから、何か特徴が在ったのでは無いかと思うがやはり叩けない!

2011年3月22日火曜日

東京都日の出町大久野(2)

途中の「玉ノ内」で妙なものを見掛けてしまった。これがその由来を記した石碑。公民館らしい敷地の中にかなりデカイ玉石が二つ鎮座している。
片方は大正天皇の即位を記念して鎮座させたもうたと言うのだから、よっぽどの石かと思うが只丸い大石と言う事だけなのかも知れない。偶々、最近浜名湖北岸産の「球状橄欖岩」を見たばかりなので、ひょっとしてと思ったりしたのだが、叩いてみる訳にも行かず、正体不明。

2011年3月21日月曜日

東京都日の出町大久野(1)

露頭情報 No_467 1/50000 青梅地域の地質に3.4 水口(みのくち)ユニットとして紹介されている旧採石場入口の露頭だが、残念ながらその採石場は稼働中の工場となり露頭の場所は駐車場で観察出来なかった。
深田地質研究所の現地懇話会で筑波大学大学院教授の久田健一郎氏が講師で開催された「関東山地東部黒瀬川帯巡検」に参加した際にこの附近を歩く機会がありました。この時は高橋氏氏他の産総研メンバーが数名参加して居られて、昼食時等は別の意味で興味深い議論が火花を散らせていて良い一日だった。
日を改めて2009年1月末に五日市線の武蔵増戸(巡検時は武蔵五日市)から北上し、大久野附近を中心に歩いてみた。画像は途中で見掛けたまだ新しい石垣。以前は玉石の石垣は、こんなものは地元産だろうと多寡を括っていたのだが意外と群馬県産が多く地元の河川の石とは異なるらしい事が判ってきたが、この石垣は形状も・岩相もそれ程揃っていないのでこの附近の産かもしれないと思って撮影。右上は緑色岩?

2011年3月20日日曜日

焼津市用宗大崩海岸(6)

この附近にもやや円弧で構成された部分が僅かに見えるのだがどうなのだろう?画面右下附近が思い込めばそのようにも思える。
この場所はこのくらいで辞めておきましょう。

東北関東大震災の動きを追って驚愕の毎日を過ごしていたので、此方の画像のUPを出来なかった。これまでに57箇所ほどの枕状溶岩露頭をご案内して来たのだが、先週と今週は露頭を歩く予定が駄目になってしまって、更に当分それどころでは無い状況になってきましたね。画像を整理していたらこれからご案内出来る露頭画像が意外と少なくなっていて少々慌てています。残念!ブログが2年持たないかもしれない!
明日からは東京都日出町の「かもしれない」露頭附近をご案内しよう。但し、これまでの様な朝一番のUPは出来そうには無いのでご了承を!