2011年6月18日土曜日

笹本征男さんのこと-封印された原爆報告書-2/5

その中で、渡部武男氏の名前を敢えて此処に引用するのは、東京大学総合研究博物館において2004年1月24日から4月24日の間  開催された特別展「石の記憶 -ヒロシマ・ナガサキー 被爆資料に注がれた科学者の目」の存在がある。内容は、博物館のHPで公開されている。画像はその展示についてのチラシの裏面である。
「原爆調査」の詳細については、此処で簡単に要約して述べ得るものでは無いので、笹本征男さんの「米軍占領下の原爆調査」を読んで頂きたい。ネットでも入手可能である。
この「原爆調査」に、地質学者が参画させられたのは、放射線の影響を正確に調べ、医学調査と照合する事により、被災者の被ばく線量を正確に把握し、その後の病状や後障害についての分析を行う為であって、原爆被爆者の医療を目的としてのものでは無かった。
「石の記憶」展示にはその会話の内容から多くの被爆者と共に広島・長崎ゆかりの方々も多く来ておられた。展示の中で一番の驚きは、渡辺武雄氏への「原爆調査団」への文部省の委嘱辞令が展示されている事だった。笹本君に連絡を取り辞令が展示されている事を伝え、彼はその後この辞令とともに展示内容を一刻も早くネットで公開をするように要請する行動を開始する。
勿論、渡辺武男氏以外の調査団メンバーもこの時点では既に判明していたのだが、「辞令」についてはこれまで資料として公開された事がなく、正確な(それが例え隠れ蓑だったとしても)命令関係が解明されては居なかったのである。その点でこの展示は、恐らく渡辺武男氏の遺志とは異なるものでは有ったと思われるが、原爆調査の詳細を正確に知ろうとするものにとっては実に貴重な機会であった。
渡部武男氏は当時の文部省の委嘱を受けて1945年9月、文部省の原子爆弾災害調査研究特別委員会(被爆調査団)・物理学化学地学科会 地学班班長として広島・長崎への調査に赴いた。当時東京帝国大学教授。調査報告書を恐らく自ら英文に翻訳し駐留軍に提出させられている。尚、物理学・化学・地学科会の分科会長は同じく東京大学教授の西川正治(物理学)が務めている。
渡辺武男氏は、科学者としての良心が被爆調査資料を破棄する事無く、何れ公開されるかも知れない可能性を知りつつも保存し続けたに違いないが、この件に関しては戦後一貫して終始黙して語らずにいたようだ。
それは、軍部・文部省の調査に対する説明・目的・大義名分と、調査に参加する中で次第に明らかになっていく調査の実態、「原爆調査」は、アメリカが投下した「原子爆弾」の殺傷兵器としての「効果・効用」を明らかにし、それを被爆者の健康を取り戻す為に使うのではなくまさに正反対で、日本国内では公表もせずに、直ちに英訳されて駐留軍、即ち原子爆弾を投下した米軍に提供した。医療調査も、治療の為の調査ではなく、「放射線の効果」を調査したが、原爆縛者の「治療」は全く行っていないのである。その事に気付いた渡部武男氏は戦後沈黙を守ったのであろうと想像する。
幸か不幸か、それを知らぬ弟子(?)は、「原爆調査の」非人間的内容を理解出来ずに、それがこれまで取り上げられる事のなかった、隠された素晴しい研究業績だと思い込んで、東京大学総合研究博物館で研究資料を公表したのであろう。その結果これまでに、私も笹本君もその写しさえも見た事が無かったその調査団団員に交付された「辞令」までも見る事が出来た。

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