故山本作兵衛氏の筑豊炭鉱絵巻がユネスコの「世界記憶遺産」に登録されると言う。上の画像は1973年に福岡の「葦書房」から発行された「筑豊炭鉱絵巻」(0071-7301-0135)の中の1枚をスキャンしてみたもの。この書籍が発行された1月の小生の税込みの賃金は手取り60,634円(税込み:81,766円)。これに対してこの絵巻の価格は4,500円だった。現在なら5万円以上に相当するだろうか?出版部数も少なかったので高価だったのだろうと思うが、15年ほど前に九州に帰る機会が数度続けてあり、田川や飯塚・大牟田等の石炭資料館等を巡り、これらの原画の迫力も感じる機会が有った。北九州の零細企業の連なる街に高校卒業まで住んでいたので筑豊は縁の深い場所であった。
世界記憶遺産等と言う制度がある事を、最近のこのニュースで知ったが出来れば山本作兵衛氏の絵巻のみならず、例えば故上野英信氏の「写真万葉集・筑豊」(全10巻)を含めて、上野氏の著作集やその他の多くの筑豊の記録を、出来れば何時でも閲覧出来るようにデジタルデータで保管して頂きたいものだと思う。
下の画像は、上野英信氏の「日本陥没期 地底に奪われた死者たち」(未来社:1973年)の口絵写真をスキャンしたものだ。上の画像は「三尺」と言われた薄い炭層を掘削する石炭工夫の姿だ。
下の画像は何を意味しているか?判るだろうか?1957年だと思うが長崎県の北松浦半島に存在した「中興江口炭鉱」で出水が有り29名の犠牲者が出た。その時真っ暗な構内で、カンテラの灯りを頼りに出来たか判らないが、26歳の岩橋さんが「ホゲ」と言う工具に恐らくツルハシかノミで書き残した「井料 西脇 ミヤコ ヒトシ フタリナカヨク タノム」である。人間を人間と思わぬ世界が(今も大して変わらぬが)ある事を、その中で一筋の光を求めて戦った炭鉱や北九州の零細企業・スラムの生活を何処かで記録し続けて欲しいと考えるのは無体だろうか?
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