2015年12月4日金曜日

長い間閲覧頂き有難う御座いました!

このブログの更新を本日2015年12月4日を持って停止します。
2009年9月8日に2年程度を目途に開始したのですが、「枕状溶岩」の露頭が殆ど日本中に存在すると言う今では余りにも当たり前のことを御案内するという目的もそろそろ、無用の長物になりそうな気がしましたので、年齢を考えて撤退することに致しました。長期間、お付き合い頂き有難う御座いました。

2015年7月25日土曜日

佐野の石灰石鉱山のズリから玄武岩

“久し振りの枕状溶岩ネタ”です!!或る調査の為に佐野市の石灰石層下部に有るらしい玄武岩を探しに出掛けた。足尾から佐野・出流付近の地質を20万シームレス地質図で見るとこの様に記載されている。この中でも渡瀬渓谷沿いの枕状溶岩はこのブログでもその画像を御紹介しているが、佐野・葛生・出流方面に関しては凝灰岩は在るけれど玄武岩は・・・と言う情報ばかりだった。でもこの様にチャートや石灰岩の東縁には淡い緑の(変)玄武岩が記載されている。
鍋山の周囲や出流の満願寺付近に狙いを付けて移動中に崖に少し丸みを帯びた枕状溶岩の様に見える露頭を見付けたが周囲はダンプカーが疾走する石灰石鉱山で勝手に敷地に入る事は出来ない。その露頭が含まれる様に思えた鉱山の事務所に取敢えずお願いをしてみようと交渉すると、その崖は別の鉱山だと判ったが、事情を説明するとそれらしい岩石が、役に立たないので(売れないので)ズリ置場には在るので観に行くなら案内すると言って下さったので是非にとお願いして鉱山の中に入らせて頂いた。
鉱山に迷惑を掛かられないので場所を特定出来る様な景色が入った画像は紹介出来ないが、標高200m程のその場所には赤茶色の凝灰岩(ハイアロクラスタイトか)の中の成分がレンズ状に引き伸ばされた状態の比較的割れやすい岩石と、正に緑色岩で少なくとも一つの面が緩やかな球面を構成する岩石が存在していた。250~300m付近の採掘現場は大型の重機が稼働中なので入れないが、成程20万シームレスでは石灰岩の領域に脈状に変成を受けた凝灰岩と玄武岩が脈状に(付加体として折り曲げられ剪断を受けて)あたかも貫入した様に存在しているようだった。
凝灰岩の中にレンズ状に引き伸ばされた岩塊が有るもの。

  緑色岩。複数の形状が重なったものは探し出せなかったが硬い岩石塊を割ると緑色岩であった。

この後、観音入林道で層状石灰岩の露頭を観察、層状石灰岩から剪断を受けた岩塊が風化されずに突き出していたが、これは硬度が高い為では無く、石灰分が殆ど無い為に溶けなかっただけのボクボクの風化岩だった。出流の満願寺の入口付近でも緑色岩の(凝灰岩では無い)岩片は在るのだが、山の斜面の傾斜がきつ過ぎて露頭には辿り着けなかった。
何れ薄片を作って検証の予定。

2015年1月22日木曜日

枕状溶岩露頭情報のチョット嬉しい現状

ブログの表題とは異なり、最近は桜島を中心とした火山活動情報ばかりUPしていますが、これは最近枕状溶岩の露頭を歩く機会が無くなったので、ブログを維持する為だけに火山活動情報をUP
している訳です。
嬉しい事に、火山活動情報の閲覧は殆どありませんが、露頭情報の関係は結構コンスタントに閲覧して下さる方が増えています。このブログを足掛かりに、もっと進んだ情報に接して、調査に向われる方々が少しでも居られれば幸いです。
このブログも、広告も採用せず、無償のままで、2009年9月以来既に5年と4ヶ月が経過しています。

2014年5月10日土曜日

枕状溶岩:千葉県鋸南町下佐久間田子

実に数年振りにこの露頭を訪ねたのだが、この場所は、参考書にも掲載されているにも拘らず、露頭の状況が良くないので、殆ど来訪者が居ない露頭。小生のリストにも既に掲載済みだと思ったのだが、なんと何処にも記述が無いので、取り敢えず画像を掲載。
千葉県は鴨川や嶺岡に立派な露頭が多いのでひっそりと守られているらしい。
露頭が汚れているので、他の枕は中々判り難い。
この直ぐ近くに、ドレライトの露頭が在るのだが、民家の敷地の中なので注意。
目視で、ドレライトの針状斜長石結晶が確認出来るが、風化が激しく、ドレライトと言うより、タマネギ状風化の模式地(少し言い過ぎかな?)みたいな雰囲気だ!

2014年5月6日火曜日

石の百年館 JR稲田駅に併設で復活

稲田石の魅力を伝える「石の百年館」がJR水戸線(小山~水戸間)の稲田駅構内にリニューアルオープンしている。駅舎に隣接して以前のイメージを残しながら、ややコンパクトになったが、この様に2014年3月30日にオープンしていた。建物は国道50号からほんの少し入った場所で、駅舎の反対側に(正面左側)駐車場も設けられている。
下の画像はその展示の一部。日本国内の主要花崗岩山地の標本が貼られている。勿論、岡山の万成石も揃っています。5日に初めて訪問したが、国道にもう少し案内看板が欲しい処だが、意外と良く広報されているのか、頻繁に来館者が来られていました。
5月4日に、博物館の例年の行事で「石を割ってみよう」と言う体験会が開かれた。殆どの石は地学科の先生と我々ボランティアが平群川で集めて来た「千葉県産」石材なのだが、一つだけ例外で花崗岩の稲田石があったのだが、今年はこの稲田石が良く捌けた。
来年は花崗岩が要るね!と話していて閉館した「石の百年館」は惜しいよね!と言ったら、いやどうやら再開したらしい!それも今度は駅の傍らしいと聞いた。

5日は、石岡の街の古い街並みの中の石材(大谷石でも鹿沼や徳次郎付近のものらしい石材を用いた石蔵も多い)を観察に行ったのだが、茂木の街外れのお菓子屋さん「良い村」に行こうとしてこの話を思い出し、見学させて頂いた。
新設なった「石の百年館」や、小山を挟んで西側の両毛線岩舟駅傍の「日本一小さい岩舟石の資料館」の健闘を祈りたい!

2014年1月5日日曜日

笹本征男君と原爆文献を読む会

昨年末、原爆文献を読む会のメンバーであった佐藤博史さんと鵜沼礼子さんが共著で一冊の書籍を自費出版された。画像は鵜沼礼子さんのパートナーの故栄さんの精緻な折り紙細工の作品。その書籍の挿絵に用いられている。読みたい方は直接著者へ。
巻頭の佐藤博史さんの「ヒロシマをめぐるいくつかの軌跡」には、彼が鵜沼さんに送った一通の手紙が引用され、笹本君と小生の名がCCとして記されている。この手紙が書かれた時には笹本君は酒を飲み健啖振りをしめしていたのだが、彼が世を去って間もなく4年の月日が過ぎようとしている。良き友を失う事は力を失う事に等しい。
2008年以来久し振りにお会いしたのだが、文献の会の事を調べている人が居るらしい事を伺った。
数年前に茨城から千葉県に引越しした際だと思うが、1969年から1976年までの例会案内の葉書94枚が、ひょっこり荷物の整理中に出て来て、スキャンしたデータとエクセルに入れた資料を、佐藤さんと鵜沼さんに御渡しした事が在った。私の手元には元々、佐原君が始めた「原爆小文庫」が増殖し、各地の被爆者の会の作成資料などが一千冊を越えて保管されていたのだが、2000年5月、当時の取手の自宅が降雹被害を受け、家屋の修繕費が100万円を越えたが、一番痛かったのが2階の自室の壁際に並んだ書棚が全て泥水を受け、その殆どを廃棄するしかなかった。小冊子の類はもう二度と手に入らないものも多かったのだが、余りにも大量に被害に遭ったので逆に救う余地が無かったのが残念だった。
尤も、書籍を保管する事が目的では無かったからそれはそれで諦めが付くのだが、それらの書籍を手に入れる過程の交流の記録が亡くなった事は残念だった。
原爆文献を読む会も歴史の一コマになってしまったらしい。

橿原神宮水舎の枕状溶岩 (3)

枕状溶岩の形状的特徴を良く示すものが互いに面白い状態で組み合わさっている。石工の方々もこの様に組み合わせを考えながら素材をためつすがめつ眺めて組合せるのだろう。
柏原神宮の枕状溶岩画像はこれで終わり。

桜島と諏訪之瀬島の噴火活動もやや沈静化して来た雰囲気だ。
となるとこのブログを維持するネタをどうするか?早いとこデータを整理して手仕舞いとするか?
自己満足的に使命は果たした!等と自己宣言して消えて行くか?
2009年9月8日にスタートした枕状溶岩の露頭画像と位置や文献情報もまさかこんなに早く体力的限界が襲ってくるとは思ってもみなかったが、考えてみれば1999年には余命僅かと宣告されていたのが抗がん剤と放射線治療に耐えて退院に漕ぎ着け、更に余命3年の筈が13年も生き抜いているのだからそんなものかとも思う。友人の笹本征男君が世を去って間もなく4年になる。友を失う事は力を失う事だと強く思う。幸い地質分野では恵まれた環境で学び続ける事が出来ているがさて、考え処か?

2013年12月23日月曜日

橿原神宮水舎の枕状溶岩 (2)

最初に気付いたのがこの岩体。良い色してますよね!これは、露頭情報では無いので、奈良県だけは取り敢えず「観察情報」と云う事にしておきましょう。

2013年12月22日日曜日

橿原神宮水舎の枕状溶岩 (1)

急に京都の貴船の鼓岩を観に行く気になったのは、香芝や橿原付近で門柱や石塀に使われている凝灰岩質石材の産出元を調査しようと意気込んで一日この付近を歩く積りでいたのに、最初の一軒で、その産地が奥松島だった事が判明してしまったから、珍しく神社でも散策させて頂こうと歩き始めた橿原神宮の神域で、この石材を見たからです。奈良県には有名な枕状溶岩の産地が有るが中々公共交通機関ではアクセスが悪いので、以前、傍まで行きながら混雑で確認する事が出来なかった貴船を思い出した次第。念の為に、此の石材の幾つかをクローズアップしてご紹介しておきたい。

2013年12月16日月曜日

貴船神社 鼓岩

貴船神社の鼓岩。さて枕状溶岩なのか、そうではないのか?

2013年12月15日日曜日

貴船神社付近の枕状溶岩

久し振りの「枕状溶岩」ネタです。
奈良の屯鶴峯に凝灰岩石材の切出し遺跡を観に行ってきたのですが、調査の予定項目の一つが簡単に片付いたので、フット思い出して京都・貴船の貴船神社の鼓岩を観に行きました。
これは途中の川遊びの高級料亭の石垣に使っていた岩塊の画像をくるりと回転したものです。
時計方向にあと90度回転させるともっとはっきり判ると思いますが、このブログのソフトは回転角度に関しては中々言う事を聞いてくれないのでこのままでも判るでしょう。枕状溶岩が重なっている様子が良く判ります。「露頭」とは違うけどまあ何時でもここに行けば見えるので登録しておきましょう。問題は観察者が回転しない状態で気付くかどうか?ですね。結構他にも沢山在ります。
ここは大分前に、芹生の帰りに立ち寄ろうとしたのですが、大混雑で駐車できずそのままになって居ました。

2013年4月25日木曜日

笹本征男君のこと (9) 詩集 いずも から

ほぼ同じ年齢で、山村と下請け孫請けの工業地帯のスラムとの相違はあるが、私には「ハックルベリーフィン」の物語はそれ程心に残って居なかった。中学の頃は図書委員の「役職」を悪用して読みたいと思った書籍を図書室に購入してもらっていたのに・・・
彼の病室でその話をしたら、「君は冒険に憧れなかったのか?」と聞かれた様に思う。
アセチレンガス灯は共通の思い出だ あのガスの臭いを知るものはもう少ないだろう
カーバイトを水と接触させアセチレンガスを取り出すともしびは、炭鉱でも使われた
あのほの暗い明かりでも、彼の思い出の中では耀いていたひとこまなのだろう


ハクルベリーフインの夜

夜の川
ヘミングウエイのミシシッピー河にいる
舟の上で燃えるアセチレンガス灯
川面が輝く

父が投網を投げる
手繰られる投網の中に鮎の銀色の体がおどる
船首にいるハックルベリーフィンの私
竹竿を川底に押しつける

網から鮎をはずし生け簀に入れる
夜が明けて樽に鮎が詰められ
塩をまぶされ魚市場に送られる

夏の夜の中で若い父とハックルベリーフィンがいる

2002年11月3日 この日、彼は一日の内に四編の詩を歌った。
土曜美術社出版販売 詩集 いずも ISBN4-8120-1509-X

2013年4月15日月曜日

笹本征男さんのこと (8) 詩集「いずも」から

笹本君のオヤジさんは発電所に務めていた事は聞いた事が在るが、どのような仕事をしていたのかは聞き漏らした。昔と言っても1997年だったと思うが、当時、笹本君の住むアパートと中島竜美さんのお宅の丁度中間地点あたりで大きな地下の工事が有って、私はその現場に良く通っていたのだが、ある日彼に声を掛けて、現場見学に誘った事が有る。現場には友人とは言わずに連れて行ったので本来はルール違反なのだが地下30数mの現場は文系の彼には正に驚きだった様で、確かその時に彼のオヤジさんが発電所に務めていた事を効いた様な気がする。
彼とは、運動の中でも不思議にウマが合う部分が在って、当初住んでいた清瀬まで泊り掛けで遊びに行ったりしたものだった。
そこで、今日は 「原風景」をご紹介する。


原風景

夕暮れにはまだ遠い時
私は三輪車に乗っている
母が後ろから押している
三歳の頃か

道は右に曲がっている
左には川と発電所がある

道の遠い先に帰ってくる父がいる様な気がする
人生での原風景のように記憶に残る

なぜ最初の風景と思うのか
わからない

東の出雲から西の父の故郷に
連れられて
帰ってきた 直後のことか

出典:土曜美術社出版販売  詩集 いずも
ISBN4-8120-1509-X



2013年4月13日土曜日

笹本征男さんのこと (7) 詩集 「いずも」から

笹本君は、決して文学者では無いし、私も同様に文学系の人間では無いので、彼の詩が文学的にどう評価を受けるのかは知らない。でも、この詩集が出版される前に、彼の病室からロビーに歩きながら、広告紙の裏側に書き綴った詩を私に読ませながら語りかける彼の目は本当に耀いて居た事は間違いない。
彼からこの詩の背景となった情景の話を聞いた事が有ったが(この葬儀の時は私はまだ笹本君と親しくなる前の事だった筈だ)、吾等の生きた時代はそんな時代だったのだと、それが良いとか悪いとかでは無くてそれが現実だったと言う事を否定出来ない時代だった。説明すべき事でも無いか!


母へのことば

行きたければ行けばいい!
母が叫ぶ

なぜ生母の生んだ兄に会いたいなどと言ったのか
東の出雲にいると言う血の繫がっただけの兄に・・・・・・・・・・
父の葬儀が裂かれる

生誕三十日から育ててくれた母に
何ということばか

四十年経っても
引きつった母の顔が浮かぶ
晩夏の故郷の空気が淀む


出典:土曜美術社出版販売 詩集 いずも
ISBN4-8120-1509-X

2013年4月12日金曜日

笹本征男さんのこと (6) 詩集「いずも」から

何故かこの処、恐らく初めての事だと思うけれど、笹本さんの事を記したブログにアクセスがまとまってやって来た。細かな事は判らないが、一週間ほどの間に二十数回のアクセスがあると何とかこの記事にアクセスが在る事が判るのです。

詩集 いずも は編まれたが、いかんせん流布された数は少ないと思うので、何か方法はないかと思って居たが、このブログも予想外に長い期間広告も無しに継続出来ているので、笹本君の何かに触れたい、何かを知りたいと思われた方々がこのブログの笹本君の項目に目を通す機会が在るのなら、此処で詩集の一つ一つを紹介してみようと思う。
まさか笹本君の詩を紹介しても著作権侵害で訴えられる事も無いだろう。
マア、その時は佐藤博史弁護士に御出馬を願う事にしよう。
地質のそれもかなりマニアックな枕状溶岩の露頭情報ブログに、彼の詩を掲載するとは!
笹本君 いいよね!

最初は2002年11月3日に書かれた ほとばしる叫びの最初の一片

   蝶

古びた伯父の雑貨店の三輪車の荷台の上
父の棺の傍に母と私が座る
二十歳の八月の終わり

揺れる道は私の小学校の通学路だ
父の遺体を焼きに行く

小学校の横の山の中腹に穴を掘っただけの火葬場がある
授業の時、遺体が何度かそこで焼かれ
強い臭いが漂った

三輪車は校門の坂道を上り
校庭で棺は下され、担がれて山の中腹に上がる

穴に置かれた棺
傍らにたたずむ母と私
棺に火がつけられる

父が結婚を世話した良人兄さんが棺の傍らに残る
眼前を舞う一羽の蝶

母と私は焼けていく棺を後にして自宅に帰る
眼下に校庭が見える


出典:土曜美術社出版販売:詩集 いずも
ISBN4-8120-1509-X




2013年1月3日木曜日

銚子の古銅輝石安山岩

昨年から度々銚子に出掛ける機会が増えています。銚子は少々不思議な地質のポジションで、瀬戸内火山帯と同様に古銅輝石安山岩が存在しています。露頭の殆どが現状では海中に露頭が在ります。勿論、枕状溶岩ではりませんが、時にはこのように放射状節理を示す事があります。

今日は銚子の砂岩についての調査に行ったのですが、時間が少し空いたので(砂岩の調査をサボったので)ウオッセに行った序でに直ぐ傍の古銅輝石安山岩の露頭を幾つかと、隣り合わせのチャートの円礫を含む礫岩を観察して来た次第です。

明日から久し振りに、枕状溶岩の露頭情報を再開しようと考えて居ます。

2012年10月28日日曜日

黒生漁港の古銅輝石安山岩

地質学会関東支部主催、関東地質調査業協会共催の「東西日本の境界を歩く」銚子巡検に参加させて頂いた。講師は産総研・地質調査総合センターの高橋雅紀氏と首都大学東京の鈴木毅彦氏。27-28の両日銚子市と旭市等で開催された。素人に何処までついていけるか?少々不安もあったが、何とか楽しく二日間を終える事が出来た。
この画像は黒生(くろばえ)漁港の巨大な防波堤群の中に取り込まれた古銅輝石安山岩。この付近は高神礫岩が分布する中にほんの少しだけこの安山岩が分布する不思議な場所。
陸上溶岩ではあるが千葉県では数少ない溶岩なので、例外としてご案内する。

2012年9月15日土曜日

下田・逢が浜の放射状節理 3/3

放射状節理の向かって左側弓ヶ浜の側ですが、放射状節理に沿って岩脈が貫入しています。これはその岩脈部分が浸食された洞穴の内部。右側の壁は放射状節理の岩体。岩脈との間にハイアロクラスタイトの部分が有ります。厚い岩脈が在り左側にやや薄い冷却節理を持った部分があるので、放射状節理の部分が貫入して、未だ冷め切らない内に個の岩脈が貫入して来たであろう事が想定できます。

2012年9月14日金曜日

下田・逢が浜の放射状節理 2/3

放射状節理の上の方。貫入岩体と地山との境目を狙ってみました。放射状節理が細かな板状節理に変化し地山に接しています。板状節理は地山に並行に出来る場合と、この様に、接触面に直角に生成される場合があります。

2012年9月13日木曜日

下田・逢が浜の放射状節理 1/3

南伊豆の海岸には沢山の岩脈が入っています。田牛の海岸でも同様に見る事が出来ますが、ここでは岩脈の先端部が放射状節理を構成しています。放射状節理は「枕状溶岩」と同義語ではありません。何処かのジオパークでは放射状節理を「枕状溶岩」と書いていますが、伊豆ジオパークではそんな事はありません。枕状溶岩に「放射状節理」が存在し易いのですが、大型の枕状溶岩では内部まで放射状節理が届く事は実に稀です。
この放射状節理の場合は周辺に細片化した節理の部分がありますので、恐らく堆積したハイアロクラスタイトの中に貫入したのでしょう。
この放射状節理の上部と側面の別の岩脈を見て頂きます。